
わたしたちは
外側の現象に目を奪われ、
外側の世界に一喜一憂し、
外側の情報に答えを求め、
外側の神に依存してきました。
右回転システムに
刷り込まれた人類は、
負の原因と結果を
自ら生み出す負のループに
陥ってきたのです。
負のループから脱却するには
個のレベルでできる
思い・言葉・行動を正し、
家族の一員としての自分を
生命の秩序どおりに正すこと。
内側の世界が原因の世界です。
内側の世界を良化することで
家庭に好循環を生み出すのです。
家族から
信頼されるようになれば
今度は家族が変わってきます。
互いに感謝し合うようになれば
守護霊さんをはじめとする
内在神から信頼されるように
なってまいります。
これが
左回転システムの順序です。

家族が和合できれば
家系の因縁が解消され、
今生での学びは合格です。
合格点に達すれば
神界のいちばん低い段階で
道具として
使われるようになります。
道具は使われるままなので、
「自我」を介入させないことが
鉄則です。
道具は複数そろって
ひとつの仕事をします。
それが魂のチームです。
現在の家族を合格点まで
引き上げられたら、
過去世で家族だった魂と
再会してチームでお役を
させてもらえるように
なるのです。

わたしは
2021年12月30日に
小林芙蓉さんと出会いました。
小林芙蓉さんの魂は
応神天皇(世界天皇)、
八幡大神、弁財天、
艮金神、根源神で
霊能者でもある書画家です。
(文末の参考資料を参照)

お父様が
大変有名な霊能力者で
前世が天皇の方でした。
お父様が富士山の山頂で
ダイヤモンドをつかむ
霊夢を見た後に
小林芙蓉さんが生まれました。
小林芙蓉さんは
地球を救うために
転生された魂なのです。
(小林芙蓉さんの実家は
うちの近所です)

2020年は
仁徳天皇よりはじまった
歴代天皇のご指示を受け、
その記録をブログと動画に
記録してまいりましたが、
その裏でいろんな方が
わたしにメッセージを
伝えに来てくださいました。

出口直さんの続きをしてくださいと神様がお伝えです。

白狐さんが助けたいと言ってます。
そんなことを言われても、
その時点では
よくわからなかったので
聞き流していたことも
多々あります。

2021年7月には

玉置神社の神様がお呼びです。7月23日に行ってきてください。
と伝えに来られたので
玉置神社にご参拝しました。
その頃はなぜか
小林芙蓉という人物の名前を
よく目にすることがあり、
玉置神社でも
小林芙蓉さんの著書
『水のように生きる』を
目にしていたのです。

その3か月後、
2021年10月24日に
王仁博士の墓に行きました。

そのとき、
小林芙蓉さんと
必ずお会いすることになる
と直観したのです。

わたしは
小林芙蓉さんという方を
存じませんでした。
2021年12月にある方が来て、

小林芙蓉さんとお会いしてください。持統天皇の魂を探しておられます。
と言われたので12月30日に
小林芙蓉さんとお会いしました。
弁財天さんだとわかりました。
この方はなんと、
かつてわたしのご近所に
住んでおられたのです。

その前からしきりに
「卑弥呼」
と継体天皇から
何度もサインを受けており、
卑弥呼がらみは遠慮したいかも
と内心思っていたのです。
これまで山ほどの
歴史学者が取り組んできた
卑弥呼論争に首を突っ込み
たくなかったからです。

ところがついに、
卑弥呼は
女帝のはじまりなり
と継体天皇より伝えられ、
艮金神より
オリハルコンは嫉妬なり
と伝えられたのでした。
2022年4月になって、
小林芙蓉さんのお誕生日会の
お誘いを受けました。
4月15日になぜか急に
「われは海の子」
が聴きたくなったので
YouTubeで聴きますと、
号泣してしまったのです。

帆船の映像を見るたび
大泣きし、
その日は一日中
泣いていました。
瞼がポンポンに腫れてしまい、
お誕生日会
どないしよと思ったものです。

今でも
『われは海の子』の7番の
「我は守らん海の国」
のところで泣いてしまいます。
現在7番は
教科書から削除されています。
2022年4月17日、
小林芙蓉さんの書のギャラリー
「流水堂」にて
お誕生日会が開かれました。
(なんと、うちから車で
10分ほどの所にあります)

なんとわたしが
一日中号泣していた4月15日が
小林芙蓉さんの
お誕生日だったのです。
この日、
お誕生日会に呼ばれたのは
日本各地から呼ばれた
8名のシャーマンの女性でした。
(わたしはシャーマンでは
ありませんよ)

その場に衆議院議員の
下村博文氏も
来られていました。
もちろんわたしは
小林芙蓉さんと下村議員との
関係を存じませんでした。
けれどもその前日に
差出人不明で当院あてに
このfaxが送信されていたのです。

この時点で下村議員は
わたしのことを
知る由もありません。
その頃は
継体天皇からのサインが
ずっと続いていたので、
このようなありえない
偶然を装ってメッセージを
伝えられるのです。
わたしは
政治に興味がなかったので、
下村博文さんの経歴を
存じませんでしたが、
9歳のときに
父を交通事故で亡くされ、
母子家庭となり
大変ご苦労されたこと、
教育者として
経営者の前歴があること、
世襲議員ではないことを
知りました。
下は下村博文さんから
いただいた著書。
(付箋はわたしが貼ったもの)

その日
全国から集まった8名のうち、
何名もの女性が
「船」と「二本の帆」
と共通のメッセージを
受け取っていたのでした。
わたしの場合は
『われは海の子』
だったようです。

「船」と「二本の帆」は
何の意味でしょうねー。
と皆で話し合っていたときに
「船」と「二本の帆」
といえば!

わたしは「継体天皇」の
シンボルだと分かったのです。


そこでわたしは
自己紹介の際に、
「継体天皇が下村さんを
助けたいと思っておられます」
とお伝えしました。
「ほかの方が受け取られた
『船と二本の帆』
で一致しています。」
と継体天皇のシンボルを
見ていただきました。

ちなみに二本の帆は
夫婦神をシンボル化したもので
天の浮き船に乗った夫婦神を
シンボル化したものですと
お伝えしました。
すると小林芙蓉さんは
「わたしと下村博文さんは
前世で夫婦だったんです。」
とおっしゃったのです。

わたしは
継体天皇が応神天皇の5代孫で
現在の皇族の始祖であること、
3歳の頃に
お父さんが亡くなったので
母の故郷・越前国で
民間人として育てられたこと、
今城塚古墳は
宮内庁管轄外だったので
唯一、文化庁が
発掘調査できた天皇墓で
真の継体天皇陵であること、
歴代天皇が
日本の建て直しのために
総動員で活動されることを
そのとき申し上げました。

そして家族形態を
破壊してしまうような
法案を通してしまったら
大災害が起きてしまうことを
お伝えしました。
最後に
「一度今城塚古墳に
いらしてください」
とお伝えして
自己紹介を終えました。
このときはじめて
小林芙蓉さんが
応神天皇の魂であることを
知らされたのです。
応神天皇は宇宙天皇
であることも知りました。
つまり小林芙蓉さんは
わたしの前世の父であり
先祖だったのです。

すべてが一致していたことから
小林芙蓉さんは
わたしを信頼してくださり、
空海の印の木のブレスレットを
授けてくださったのです。
その日の夜、
入眠時にメッセージが来ました。

この者を総理大臣に致し、
天皇陛下と内奏いたすのだ
継体天皇と仁徳天皇からの
お告げだとわかりました。
体中がしびれていました。
「大変なお告げを受けてしまった…」

内奏というのは、
内密に天皇に
奏上することです。
天皇陛下と
内密に面会できるのは
総理大臣だけなのです。
その翌日、
小林芙蓉さんにお会いして
夢の内容を報告しました。
するとすぐに
「下村さんに話してあげて」
とお電話をかけられ、
わたしは夢のお告げを
下村さんにお伝えしました。
そのとき継体天皇のシンボルと
今上陛下の著書がいずれも
「船」「二本の帆」
であることに気がついたのです。

後で知ったのですが、
小林芙蓉さんは
2021年4月に
応神天皇とつながってから
下村議員を総理大臣にするよう
神託を受けられたことから
下村博文さんとつながり、
書画の師匠と弟子の関係で
親交されるように
なったのでした。

お二人はそれぞれ別の人物から

十七条憲法を再び出すことになる
と伝えられていたのです。
下村博文さんの魂は
聖徳太子だったのです。
継体天皇が
下村博文さんを助けたい理由が
これではっきりわかりました。
聖徳太子は
継体天皇の直系のひ孫
だからです。

これにより
2022年4月17日をもって
日本はまことの霊道が
開かれたのです。
それからも継体天皇からの
アプローチは強烈で
下村さんに
夢のお告げをお伝えした
翌日に小学校に行った際、
下村博文さんのお名前を
見せられたり、

継体天皇樟葉宮伝承地でも
「下村」のお名前を
見せられたりしたのです。

2022年5月20日、
小林芙蓉さんから
今すぐ来てほしい
とお電話があり、
流水堂に行きました。
来客に
『イナリコード』の著者である
久世東伯さんが来られたので
急遽呼ばれたのです。

この方は
神楽を舞う霊能者で
指導霊が天武天皇
だったのです。
下はこの方の著書です。

その翌日、天智天皇から
勝者によって
捻じ曲げられてしまった歴史を
明らかにする時が来たのだ
とメッセージを受けた女性と
壬申の乱の決戦地・
瀬田の唐橋に行きました。
その女性は
レムリア時代の神官で
当時ご縁があった方でした。

この方は
近江神宮そばにお住まいで、
琵琶湖の結界を解くための
活動をされていました。
滋賀県が
これまで栄えなかったのは、
大友皇子の首が
見つかっていないから
というのです。

大友皇子の首と胴体を繋げてほしいのです。それをお願いできるのは持統天皇の魂の方しかいないのです。
と言って、
二つに割れた大きな水晶を
わたしに託されたのです。
壬申の乱の因縁は
天智系と天武系の
分裂と対立です。
二つに分かれた皇統を
つなげられるのは
天智天皇の娘であり、
天武天皇の后であった
持統天皇しかいない
ということなのでしょう。
そこでわたしは
壬申の乱で
弟(大友皇子)と戦になり
負かせてしまったことに
心からのお詫びと
感謝の祈りを込めて
水晶をお返ししました。
すると大友皇子は
近江神宮の紅葉を
「持統に渡してほしい」
とお伝えされたのでわたしに
授けてくださったのです。
大友皇子は
とてもやさしい人です。

その後に大友皇子から
国を継ぎ血統を保持する
という意味の「継体持統」
と伝えられたのです。
これを機にわたしは
天智天皇とも直接
つながるようになったのです。
その半年後の2023年1月に
吉野へ行ってきなさい
と天智天皇より伝えられ、
勝者によって捻じ曲げられた
歴史の真相と
壬申の乱の真相が
わかっていったのです。
このとき天武天皇は
沈黙を守っておられました。
(天武天皇については
後ほど説明いたします)

これにより
結界が解除されて
滋賀県は活性化
するようになったのです。

瀬田の唐橋へ行った
一週間後の
2022年5月28日に
下村博文さんから
今城塚古墳に行くので
松尾さんにもぜひ来てほしい
とお電話があり、
小林芙蓉さんと下村さんと
わたしたち夫婦と、
神官の男性と
霊媒の巫女の女性の6名で
今城塚古墳にてご神事を
執り行うことになりました。

古墳に入った瞬間、
小林芙蓉さんの体は
ぐいぐい引っ張られ、
巫女の女性はすぐさま
トランス状態になりました。
歴代天皇がこの日を
どれだけ待っておられたかを
目の当たりにしました。

1300年間の期限満了を迎え、
歴代天皇がいよいよ本気で
国の建て替えのために
働かれる基点が
今城塚古墳だったのです。
ここが日本で唯一
宮内庁から外れた
天皇陵だからです。
このことも
大きな意味があるのです。
わたしたちは、
古墳の内濠を一周して
「造出」
にて神事を執り行いました。
小林芙蓉さんが神を降ろし、
霊媒の巫女が肉宮となって
神の言葉を受けました。

権力が欲しいか、
カネが欲しいか。
この国のために己の命を
差し出すことができるか
神は下村博文さんに
厳しく尋問され、
覚悟を問われたのです。
その尋問は閻魔大王のごとく
大変厳しいものでした。

下村博文さんは
神から問われた問いに答え、
約束されました。
小林芙蓉さんは
誕生日に託された
天の叢雲の剣を
下村さんとともに
祭祀場に突き刺し
祈りを捧げられました。

小林芙蓉さんに
降ろされた神託は
出雲に来るように
ということでした。

わたしたちは
命を投げ出す覚悟が
なければ神の政治は
到底努められないことを
突き付けられたのでした。

本来なら
わが国最高神官である
天皇がその役目を
果たすべきでありますが、
日本国憲法により
政治を完全に取り上げられて
しまったために、
国会議員を使って神の政治を
させようとお考えなのです。
それが
今上陛下と総理大臣の内奏
なのです。

ご神事の後、
空に青龍と白龍が
姿を現しました。
このように
2021年より小林芙蓉さんが
応神天皇から
神託を受け取って以来、
猛烈な勢いで神々と
歴代天皇が
働いておられたのです。
こちらは小林芙蓉さんの
インタビュー記事です。

その3に続きます。



