【特別限定配信】神々と歴代天皇が蘇らせた七支刀の記憶と皇居の秘話

限定公開記事


ひふみのしくみ講演会後
東京レポートを連載しています。


前回の続きです。

歴代天皇のコラボと天皇陛下の夢


皇居外苑へ訪れましたが
中へ入ることができません。
そこで今回は
これまで見てきた夢を
開示することにしました。



はじめて
天皇陛下の夢を見たのは
2018年4月16日。
平成の天皇陛下(現上皇)の
調印式に立ち会った夢でした。


その翌朝に石切神社の
お守りが壊れていたので
上之社へ行きました。

このとき神武天皇さんが
石切神武社に
導いてくださったのです。


石切神社


そのレポートは
ここに書きました。


その後に、
徳仁なるひと親王(今上陛下)が
夢に出て来られたことで
代替わりされることを
知らされたのです。

その頃のわたしは
直観を受け取っては
生駒山の神武東征古戦場に
何度も足を運んでいました。
その頃から神武天皇が
夢に出て来られるように
なったのです。


神話では
長髓彦とは敵対関係に
あるはずの神武天皇が
夢の中ではとても親しげに
接してこられるので
戸惑ったものでした。

神武天皇は夢の中で
古い神社に隠された
神代文字を
見せてくださいました。


2018年10月23日には
神武天皇さんが夢に出て
伊勢の内宮へ3回も
招いてくださいましたが
夢の中のわたしは3回とも

鳥居をくぐることが
できなかったのです。


なぜならその時点で内宮に
鎮座されている天照大神は
女神様だったからです。
そのせいなのかわたしは
どうしても内宮に入ることが
できなかったのです。


歴代天皇が
伊勢の神宮に参拝せず
熊野詣に熱心だったのは
それが理由だったのでしょう。
女神のアマテラスは
藤原氏の神様なのですから。

熊野本宮大社


2019年からは
仁徳天皇と継体天皇に
導かれるようになりました。

今城塚古墳の夢を見たとき
天の浮き船(巨石)から
明確なメッセージを
受け取りました。

我々は
この星を救うため
にここに来たのだ


と。

今城塚古代歴史館


それから
古墳時代中期に住み着いた
秦氏の土地の歴史が
明らかになっていきました。


2020年からは
仁徳天皇の導きにより
難波神社にて
ひふみのしくみ勉強会
はじめました。

難波神社


それから次々と歴代天皇に
つながっていったのです。
(詳細は本とブログに書きました)


その流れで
仁徳天皇と七支刀の
縁を知らされました。
以下は拙著

『ひふみのしくみ』より引用。


民を喜ばせる政策に尽力した聖帝ひじりのみかど


わたしは令和元年(2019年)11月より仁徳天皇と同調するようになり、要請を受けた通りに動いてまいりました。

清滝瀑布


ある日、四條畷の清滝瀑布ばくふに呼ばれて火の神の祠の前に立ったとき、突然、七支刀を振るって舞を舞っている人物の姿が脳裏に浮かびあがったのです。その人物は仁徳天皇だとわかりました。


そのとき「ありがとう、ありがとう」と天皇を讃えるよろこびの言霊が響き渡り、雨上がりの浄められた空間に、太陽の光に照らされた雨粒がきらめいている光景が鮮明に脳裏に浮かんだのです。このとき、仁徳天皇は七支刀に七福神を降ろしていたのだとわかったのでした。仁徳天皇は「倭の五王」と呼ばれた時代の「さん」にあたります。

一方、七支刀は四世紀の三六九年(ミロク年!)に製作された、百済から倭国への朝貢品といわれています。その造形はまるで立ち上る炎を形態化したかのようです。現在は奈良・石上神宮のご神体として国宝に指定されています。(引用以上)


2022年7月には
仁徳天皇の夢を見た次の日に
今上陛下が夢に現れました。

実はその頃に
仁徳天皇と天武天皇
コラボがはじまりました。
この二人の天皇さんが
和魂と荒魂の一対となって

ある物質化をされたのです。
(内容は別の記事に書きますね)

仁徳天皇陵


一方、
神武天皇と天武天皇の
ご神気は荒魂性質で
とてもよく似ていました。

夢の中の神武天皇が
鬼の形相で笑う姿は
不思議と恐ろしくはなく
むしろ愛嬌さえ感じていて
なぜか親近感と懐かしさを
感じたものでした。

その理由は
鬼の姿の神武天皇は
鬼にされた天武天皇
だったからです。
詳しくはここに書きました。


今上陛下もよく夢に
出てきてくださいました。
夢の中の陛下は
とても偉い人とは思えない
気さくで面白い人でした。

居酒屋で陛下と向かいあって
談笑している夢も見ました。
天皇の役目を終えられた
打ち上げの夢だったようです。


皇居外苑


出版した後に見た
陛下の夢は衝撃的でした。
なんとわたしは
皇族が並ぶガラス張り
(長和殿)奥にいるのです。
外は一般参賀に来られた
大勢の国民がいるのが
わかりました。


お手振りを終えられた
皇族方は長和殿の奥で
和気藹々とされていました。
先代と秋篠宮家は不在でした)

わたしはそのご様子を
一歩引いて見ていたのです。


ところがなんと!

天皇陛下が
わたしの肩を抱き寄せて
皇族様方の中に
入れてくださったのです。

わたしは
びっくりして目が覚めて
放心状態になりました。

そのときに
わかってしまったのです。
今上陛下は天武天皇の
生まれ変わりだったのだと…。


夢の中の陛下の気配は
神武天皇と天武天皇と
同じだったのです。

吉野歴史資料館


そのことがきっかけで
この世界では
ありえないことですが
夢の中では陛下とともに

行動させていだだくように
なっていったのです。

陛下と一緒に歩いている夢や
陛下と一緒に石畳の階段を
上がっている夢を見ました。
わたしは階段から
落ちそうになったのですが
陛下がとっさに手を掴んで
助けてくださいました。


そのときも飛び起きて
放心状態になりましたが
力強く手を握ってくださった
感覚さえあったのでした。

『君の名は。』


天武天皇は家族をとても
大事にする人でした
そして唐の脅威から
民の命と国体を守るために
尽力されました。

その人柄と思いは

転生されても変わりません。
だからこそ宮内庁は
陛下を恐れているのです。


大嘗祭


今上陛下が
天武天皇の生まれ変わり
あることを確信したのは
国宝展で
七支刀を見た後です。

記憶を取り戻したことで
七支刀はその役目を
終えたことも知らされました。
詳細はここに書きました



小林芙蓉さんとわたしが
ずっと探していた
天武天皇の生まれ変わりは
皇居にいたのです。
一般社会の中では
見つからないはずです。

藤原不比等が平城宮に

宮内省を創設して以来
1300年以上にわたって
歴代天皇を

封じてきたのですから。


宮内庁は記紀神話を
日本の正統なる歴史書
とする立場を貫いています。
それは天皇を支配した
藤原不比等による

筋書きだからです。
そのため初代天皇はあくまでも
神武天皇でなければならず

考古学的初代応神天皇は
封じておきたいのです。


神武天皇は文献上では
縄文人を滅ぼして
饒速日から禅譲して即位した
アマテラスを始祖とする
女系天皇です。

女系天皇推進派の
石破内閣の実態は
逆向きの政治路線で
国民を苦しめた
親中の反日政権でした。

その政策は中臣・藤原氏が
朝廷を牛耳った構造と
まったく同じでした。


親中内閣が
中共に傾倒しているのは
藤氏が唐に傾倒してきた歴史と
同じパターンの

右回転システムだからです。


今城塚古墳が
真の継体天皇の墓と
判明したときも


応神・仁徳天皇陵のある
百舌鳥・古市古墳群が

2019年7月に世界遺産に
登録されたときも


宮内庁は天皇陛下を大阪に
行幸させませんでした。

それは藤原氏が

応神皇統と河内王権の
記憶を封じたままに
しておきたかったからです。

枚岡神社


応神天皇陵や仁徳天皇陵
天武天皇・持統天皇陵に
宮内庁事務所があるのも
天皇を封じるためです。


けれど
物理的に天皇陵を封じても
覚醒した天皇の記憶は二度と
封じることはできないのです。



幽界に操られた宮内庁の女官たち

宮内庁


宮内庁は
天皇の記憶を封じ
政治を奪い
人権を奪い
国民を引き離して
幽界の神を崇めさせてきた
悪魔の巣窟です。

平成の御代は

皇后が天皇を尻に敷き
側近が天皇の上に立
ったために
自然の摂理が逆さまになり
男女の立場が逆転し
日本の社会構造が破壊され
日本の資産が外資に奪われ
家族の在り方が崩壊し
少子化を促進させる

右回転システムでありました。


平成の天皇陛下は

艮金神の御用を務めず
荒魂の神を鎮められず
大災害を繰り返されました。


上皇となっても

側近に院政を取られ
身内は醜聞を繰り返して
今上天皇陛下の足を
引っ張り続けています。


これらは皇室が宮内庁の
支配下にある結果です。


失われた30年の本質は

男女逆さま体主霊従
=秩序の逆=新世界秩序。

男女逆さまは
奪われ続けるしくみとなり
男女を正しく戻さない限り
根本的解決には至りません。

平成は未だ続いているのです。


皇居の敷地内には
宮内庁があります。


宮内庁のヒミコ様は
近衛文麿の子孫(女系)で
天皇の宮中祭祀を
取り仕切る内掌典です。

ヒミコ様から受けた印象は
品性を欠いた言動と
言行不一致が目立つこと
魔物を呼び寄せたことから
幽界に動かされている
ということでした。
ヒミコ様いわく

宮中には人外の者がいる
とのことですから。



ヒミコ様は

世界の頂点にいたとしても
幸せそうに見えませんでした。
宮内庁がなければきっと
普通の人生を送っていたはずで

ご本人も宮中入りは
望んでいませんでした。
けれどもその出自ゆえ
逃れられない宿命なのです。


藤原の血筋は中臣鎌足以来

代々天皇の側近です。
(ただし天武天皇は除外)

宮内庁の内掌典になれば
生涯を宮中で過ごす
不自由な人生を強いられます。
それは天皇と同じ境遇です。


しかし最初に
宮中祭祀を取り決めたのは
天武天皇であって
その内容を変更したのは
藤原氏です。


それがどんなに格式高い
宮中祭祀であったとしても
女神を最高神にした宗教の

巫女が女系である限り
暗闇の世が続くのです。



ヒミコ様の生みの母は
先代の内掌典でした。
内掌典が産んだ子はすぐに

里子に出されるのです。

そのため

母と子の絆が結ばれず
母性が養われないまま
娘は出自を隠して養育され
50歳で宮中に呼び戻され

出自とすべてを聞かされて
内掌典を継承するのです。



この特殊な生い立ちでは
良心(両親)と母性が
欠如した人格が形成され
自己肯定感(自己愛)が
養われないのです。

このことは両親から
愛されて育てられた
縄文人とは正反対。


だからこそ

縄文人は自己愛が強く
不可能という
概念がなかったのです。

縄文人に嫉妬した者が
縄文人を滅ぼして

即位したのが神武天皇です。

神武天皇に
饒速日尊の国譲りをさせたのは
女神の天照大神なのです。


四條畷歴史民俗資料館


ヒミコ様が世界の頂点で
媚びへつらわれ
崇め奉られても
手に入らないのは両親と
ごく平凡な幸せな家庭。


欠乏感と嫉妬心と劣等感が
根底にある者が上に立てば
愛と母性が欠落した

政治になってしまうのです。

その政治理念は
民の幸せのために尽くされた

仁徳天皇とは正反対。

女が上に立つ支配構造は
愛のない争いが絶えない
世界になるということを

ヒミコ様と出会ったことで
わかったのでした。

土器絵画(弥生時代1世紀)


卑弥呼が出た弥生時代から
争いがはじまりました。

ロシアとウクライナの戦争が
勃発したのも同じ道理。


男系の国家元首は誰しも
戦争を望んでいない。
死んでいくのは男たちだから。
男がいなくなれば
国は滅んでしまうのだから。

プーチンもトランプも
真の敵は誰かを知っている。


世界の頂点にいる女を
引きずり降ろさなければ
世界平和は実現しないことを。


奈良県立橿原考古学研究所附属博物館


前大統領のバイデンは
ヒミコ様の傀儡でした。
ヒミコ様が米国大統領を

支配下に置く逆転構造。

その実態は
中共による世界支配。
これを正当化する詭弁が
神武天皇の八紘一宇。

ヒミコ様は天皇陛下を
崇敬していません。
つまり

天皇の側近は裏切り者。

血は争えないのです。


わたしがヒミコ様から
圧力をかけられたのは
壬申の乱1350周年であり
天武天皇のことを書いていた
2023年11月末でした。

その内容が宮内庁にとって
大変都合が悪かったらしく

ブログを消せとヒミコ様から
恫喝のメールが来たのです。

その実体験から宮内庁が
天武天皇を封じておきたい
理由が確証となったのです。

わたしはヒミコ様の要求を
受け入れる代わりに
本に書くことにしたのです。



一方、小林芙蓉さんは

下村博文さんとの共著
『教育十七条の憲法』の
出版直後の2023年11月10日に

脳梗塞で絶命しかけました。
わたしはその3日前に電話で
お話していたところでした。

小林芙蓉さんは大調和なので
本来は健康体なのです。
これまで何度も嫉妬の念で
心臓を攻撃されては
救急車で運ばれましたが
脳に来たのは初めてでした。


医師に峠を宣告されるも
奇跡的に助かりましたが
言語障害と右片麻痺で
書家としての活動が
できなくなったのです。


けれども小林芙蓉さんは
ご自身に向けられた嫉妬と

神の計画への裏切りさえも
許されたのです。


下は小林芙蓉さんが
脳梗塞で倒れる直前に四国で
揮毫された最後の書です。


最後のお電話では

空海の慈悲の心をようやく
書にすることができました」
おっしゃっていました。

流水堂


内掌典は原則として
宮中から出られないのですが
内掌典が直々に
大阪府
豊能とよの能勢のせ町に来て
小林芙蓉さんとわたしを招いて
正式参拝なさったのは

日本再建のためでは
ありませんでした。

その意図は
新たにはじまる土地を封じ
出雲の神を封じ
応神天皇と天武天皇を
封じるためだったと

今ならわかります。


枚岡神社(写真はヒミコ様ではありません)


根源神はすべてを愛し
すべてを許す大いなる愛。


わたしは
小林芙蓉さんの慈悲の心を
大切にしたいと思い

今ではヒミコ様には
幸せになってもらいたい
と思うようになりました。

ヒミコ様と出会って

過去世の因縁を体験し
神しくみと悪しくみの

両方がわかったのですから
感謝しているのです。

けれどこの方の魂が
真に救われるには
諸悪の根源を
断ち切ることが必要です。

宮内庁=幽界を

なくさない限り本当の
夜明けは来ないのです。

流水堂


皇位継承の終焉と日本人が進む道


みんなが幸せになるには

すべての生命にとって
共通の正しさを
一致させることが必要です。


太陽も地球も左回転である事実
Y遺伝子は男という事実
子を産むのは女という事実


この絶対的な正しさを
生命の秩序の法則として
共有しなければなりません。

そこから導かれるのは

父から長男へ継承する
男系を守ること。

よって
女系天皇を推進する宮内庁を

閉じなければなりません。

1300年前よりはじまった
宮内省の役目は2020年に

満了したのですから。

2020年元旦 大神神社


根源神は
嫉妬で覆われた地球を
浄化するために
幽界をなくす計画です。
その実行部隊が
歴代天皇なのです。

寄生族は
幽界の消滅に
必死で抵抗していますが
宮内庁を解体させることで
悪魔に操られてきた者を
救うことにもなるのです。

ただしそのためには
改心が必要ですが…。


女神のアマテラスと
女系の神武天皇を
正当化し続けている

宮内庁を解体するには
皇室を閉じなければ
なりません。

令和で閉じなければ
女系天皇が出てしまい
易姓革命となるのです。


えきせい‐かくめい【易姓革命】
名詞  ( 統治者の姓がかわる(易)のは、天命があらたまった(革)ものだの意 ) 中国古来の政治思想。徳のある者が徳のない君主を倒し、新しい王朝を立てること。
精選版 日本国語大辞典


秋篠宮は
天皇の血を引かない
母方の女系男子です。

秋篠宮に生まれた長男も
天皇と血縁がありません。


秋篠宮の長男が即位すれば
なりすましの日本国となり
その実態は女系天皇なので
国民から奪い続け
る天皇の
はじまりとなるのです。

一方、
天皇陛下直系の
敬宮内親王殿下が
男系女性天皇となって
遠縁の皇族男子との間
長男が生まれたとしても
父方祖父が天皇ではないため
霊統(Y)が異なります。



父の系統が天皇ではなく
母の系統が天皇であれば
女系天皇になるため
日本国ではなくなります。


そのため古の先哲たちは

めんどりが
時を告げれば
国が滅びる


といって女帝の出現を
戒めてきたのです。



いずれの選択も
皇位継承は不可。


皇室は徳仁天皇で

絶家ぜっけとなるのです。
そのため
天皇陛下は家を閉じる
責務があるのです。

中共に天皇の玉座を
乗っ取られてしまう前に
誰からも干渉されず
天皇陛下ご自身で
皇室を終わりになさる
ということです。


徳仁天皇に
長男が授からなかったのは

家系レベルの
立場と順序のはき違えが
大きな原因です。


それは
女系が犯してきた裏切りと
男系が貶められてきた先祖の

すべての因縁を令和の御代に
現して終わらせるための
必然でもあったのです。


藤原宮は
天武天皇の勅命により
持統天皇が完成させた
日本国はじまりの地。

ゆえに
日本国を建国して
初めて天皇と
名乗りを上げたのは

天武天皇なのです。


日本国の

はじまりと終わりの
両極を束ねられるのは
天武天皇の転生である
徳仁天皇だけなのです。



わたしは
2020年天皇誕生日に
難波神社で開催した
ひふみのしくみ勉強会で

徳仁陛下が高御座たかみくらの中で
草薙剣くさなぎのつるぎ天叢雲剣あめのむらくものつるぎ
神様を降ろされました
とお伝えしました。


徳仁天皇は

歴代天皇が待ち望まれた
最後の天皇

幽界と宮内庁を
消滅させるために
転生した天武天皇の魂。

体主霊従の暗闇の世から
男神主導による霊主体従に

ひっくり返すのです。

流水堂


その実際は
外の世界で他者と戦うのではなく
内なる自我と向き合って克服し
他者との和合を結ぶこと。

男女、夫婦、親子、

兄弟姉妹の立場と順序を
自ら正すことからはじまる
家族の和合の実現です。


その「型」が
親戚、地域、国家と広がって
世界平和が実現するのです。



天皇陛下が
お役目を終えられた後
その意思を受け継いで
男系を子々孫々するのは
わたしたち国民です。


天皇陛下のお役目を

国民が正しく継承し
霊と肉体を共に守りつつ
生命進化の道のりを
たどってゆくのです。


讃良の氷室


ひふみのしくみを
実践され体得された皆様が

次世代の夫婦神となって
神話を正しく
紡いでゆかれるのです。

下はわたしが直観を受けたときに
書き記したメモです。


天皇の呪詛記紀神話
菊の理新世界秩序=宮内庁

を解除するということです。


誰もが共有できる正しさを
A4 2枚にまとめました。
ご自由にお使い下さい。


東京レポートは次回に続きます。


特定の人物に関するご質問は受け付けません。ご了承ください。

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