いつのひふみのしくみを
お読みくださり
ありがとうございます。
連載の①はじまりはここから。
今回は
神武天皇に国を譲った
神様を祀る石切神社について
書いてまいります。

「石切さん」といえば
「でんぼの神さん」。
大阪で超有名なでんぼの神様を
知らない大阪人はいません。

石切神社の参道は
占い・飲食・衣料店・
日用品店・薬局・土産屋などで
埋め尽くされています。

「石切テーマパーク」
を思わせる独特の雰囲気は
昭和の風情と大阪人のスピリットと
地元が見事に融合しています。
わたしが子供の頃は
辻占い師がたくさんいました。

けれど「でんぼの神さん」の
本当の名前を知っている人は
どれくらいいるのでしょう。
地元組だったわたしも
2017年まで知らなかったのです。

石切さんは
「世界で二番目」とか
「日本で三番目」とかが多くて、
とても謙虚な土地なのです。
さすがは一番をお譲りした
神様のホームグラウンド。

この土地の領主だった
物部氏にとっての歴史書は
『古事記』『日本書紀』ではなく
『先代旧事本紀』なのです。

でんぼの神様とは
饒速日命のこと。
ニギハヤヒはニニギの兄。
ニニギのひ孫が
神武天皇なのです。
饒速日命が
国づくりした日下国に
神武天皇がやってきて
国譲りを迫られたので
お譲りされたのです。
なぜなら饒速日命は
相手を喜ばせることが大好きで、
争うことができない神様だから。

饒速日命が
日下国を納めていた縄文時代は
生駒山のふもとまで海でした。
さらに前の先史時代の生駒山は
火山でできた島だったのです。
その痕跡に溶岩があるのです。
この山は古より
霊験あらたかな修行場として
栄えてきたのでした。

ここは石切神社の本社です。
いつ来ても
お百度を踏みに来られる
参拝客が絶えません。
でんぼ=できもの
という意味なので、
でんぼの神様にガン平癒祈願に
来られる方が多いのです。

饒速日命は
十種の神寶で死者をも蘇らせたと
伝えられています。
こういう伝説を聞いて
神宝を欲しがる者は
欲望を持つ自我人間なのです。
(ムスカタイプ)

『記紀』の神武さんは
縄文人をザクザク殺しましたので
完全にムスカタイプですが、
わたしがつながった神武さんは
気さくで親しみがあったのです。
わたしは神武さんに
石切神社の参道に呼ばれて
「ここじゃ」
と声を掛けられたのです。
当たりを見回しましたが、
よくわかりませんでした。

「ここじゃ」
再度声を掛けられたので
このあたりで周りを見回してみますと
上の写真の奥には
神武天皇社があったのでした。
ここは
神武社の跡地だったのです。

「わ~、ホンマに神武さんやったんや」

こういうことが
次々と起きて行ったのです。
文献上の神武天皇は
日本のシステム転換の
役目をなされましたが、
それはあるしかけだったのです。
詳しくはここに書きました。

饒速日命と神武天皇について
文献ベースではなく、
直観と体験をもとに書きました。
自分でもびっくりする内容です。
とても大切なことなので
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この続きは次回に!
今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。