いつもひふみのしくみに
ご訪問くださり
ありがとうございます。
昨日の3月12日に、
わたしが開発しました、
藻塩と麻炭生まれの粉ハミガキ
すみわたるきれいの
製造元の不動化学さんへ
所用で行ってまいりました。

ここはかつての中河内郡であり、
物部守屋の本拠地でありました。
そこで帰りに物部守屋公のお墓へ
行ってまいりました。
ここへ来るのは4年ぶりです。

物部守屋は
饒速日命の子・ウマシマジを
始祖とする神道の宗家でした。
蘇我馬子・聖徳太子と
同時代の人物です。
教科書では
仏教を持ち込んだ蘇我氏と
宗教戦争(丁未の乱)で
敗れた人物になっています。

すぐ近くには
物部守屋の首を洗った
守屋池があります。

物部守屋のお墓は
神社庁と有名神社の玉垣に
囲まれていることから、
神社界に封じられてきたのです。

物部守屋の神道と
現在の神社神道は別物です。
そして神社庁は
国の省庁の名をかたった
宗教法人なのです。

神社庁は戦前の国家神道であり
アマテラスを最高神にした
極右の日本会議。
この宗教団体が日本政府に
食い込んでいるのです。
この宗教団体が物部氏を封じて
日本を逆さまにしてきたのです。

前回訪れたのは2021年に
称徳天皇に導かれたときでした。
当時のわたしは、
称徳天皇が意識に現れたとき、
「称徳天皇って誰?」
と、戸惑ったものです。
わたしはもともと
歴史も天皇のことも
ほとんど知らないのです。

この方は奈良時代に
道鏡と組んだ女性天皇。
称徳天皇がわたしを
物部守屋公のお墓に連れ行き、
「道鏡の汚名を晴らしてほしい」
と伝えてこられたのでした。
道鏡は権力を振るって
皇位簒奪を企てた悪人と
教科書で教わります。
ところが称徳天皇は
1300年間も悪人にされてきた
道鏡の本当の人物像を
伝えてこられたのでした。

道鏡は弓削道鏡。
物部守屋の4代孫です。
道鏡と称徳天皇が亡くなって
平安時代がはじまってから
二人の事績を隠すために
ゴシップにされてきたのです。

この辺りは
太子堂、弓削町、神武町
という地名があるとおり、
古戦場だったのです。

さて、ひふみのしくみは
歴史ブログとして5年間
書き綴ってまいりました。
その集大成として
このたび書籍となりました。
3月27日から
amazonで発売します。
現在予約受付中です。
称徳天皇と弓削道鏡の
真相はここに書きました。
とても大切なことですから、
ぜひお読みになってください。
あなたの魂の奥底を揺さぶり、
人生の道しるべとして
お役に立つことでしょう。

今回もお読みくださり
ありがとうございます。
