神武天皇即位3年前創建の河内国一宮から出た天照大神は女神だった。

神武東征と長髄彦


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はじまりはここから。


2017年12月23日天皇誕生日の
艮金神のご指示による行動記録
日下山 (饒速日山)
日下新池(天女ヶ池)
日本最初・春日神社 
この次に向かったのは、
元春日・枚岡神社でした。

石切駅から望む大阪平野(筆者撮影)
石切駅から望む大阪平野


この日は冬至の翌日。
日没までに急がねば。


近鉄奈良線 石切駅(筆者撮影)
近鉄奈良線 石切駅


近鉄奈良線に乗って、
石切から枚岡駅へと向かいます。
石切、額田、枚岡は
わたしの
故郷なのです。

近鉄奈良線 枚岡駅(筆者撮影)
近鉄奈良線 枚岡駅


枚岡駅前に枚岡神社はあります。
枚岡神社は河内国一宮であり、
奈良の春日大社の元春日です。

ご祭神は天児屋根命あめのこやねのみこと

藤原一門・中臣氏の氏神です。
天の岩戸開きの際に、
祝詞を高らかに歌った神様です。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


明治時代になってから
藤原氏の枚岡神社は
官幣大社に格上げされました。
それに対して
物部氏の石切神社は
取り壊されました。
このことはここに書きました


石切と枚岡の神社は
正反対の立場なのです。
そしてわたしは石切と枚岡の
中間地点で生まれ育ったのです。



このあたりは
藤原氏と物部氏のご末裔が
多く住んでいたようです。

とにかくこの地域は
お嬢様が多かったです。
お屋敷に住んでいるのは普通で、
家にお手伝いさんが5人もいる
同級生もいましたよ。


もちろんわたしは論外ですよ。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社



枚岡駅前に階段があります。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


「天孫輔弼ほひつ」の意味は
天孫をお助けするということです。
天孫とはアマテラスの孫のことで
ニニギ命をお助けされた神様が、
藤原氏の神様・天児屋根あめのこやね命です。
神武東征の際にも
神武天皇をお助けされました。

これは枚岡神社のご由緒です。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


「神事宗源」とは
神道のはじまりです。
神道奥義は「天の岩戸開き神事」。
藤原氏は神道のはじまりを司り
日本建国神話に携わる一族。
このことは深い意味があるのです。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


日没までにと急いで来ましたが、
なぜか夕方なのにこの人の出。
いつもはひっそりしているはずの
枚岡神社なのに何で?


枚岡神社HPより


この日は枚岡神社の
「天の岩戸開き神事」があったのです。
その「天の岩戸開き神事」が
執り行われようとしている時に
わたしは導かれたのです。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


枚岡神社は
神武天皇即位の三年前、
つまり2688年前(2025年より)に
創立された神社なのです。

枚岡神社はお宮参りや
七五三でお世話になりました。
枚岡公園でよく遊びました。
森だったので秘密基地を作ったり、
川でさわがにを取ったりしました。
懐かしい思い出です。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


枚岡の宮司様による
お話がはじまりました。
「神武天皇が河内にやってきたときに
ナガスネヒコという強い豪族に
阻まれてしまいました。
そこで神武天皇は

国を平定するために天の岩戸を開いた
天児屋根命様を枚岡でお祀りました」
ということでした。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


このあたりの古い地図がありました。
わたしには馴染みある土地です。
神武天皇が攻めてきたルートを
書き加えてみました。
第一回目は海から上陸したのですが、
ナガスネヒコに撃退されます。
第二回目は熊野から上陸して、
暗峠を通って南から攻めるのです。
宮司様はそうおっしゃっていました。


神武東征ルート想像図


暗がり峠とは、
生駒山の大阪と奈良をつなぐ
古代から使われた街道です。
狭い急勾配の道は

知る人ぞ知る日本有数の
酷道(国道308号線)なのです。

暗峠


この道は幼稚園の頃から
年に二回は登らされた登山道。
毎年いやでしょうがなかった

この峠道が
打倒ナガスネヒコのために

神武天皇が通った道だったとは。


どれくらい酷い道なのかは
YouTubeでご覧あれ。


この階段を上がれば
枚岡神社の御本殿があります。


枚岡神社


しかしこの日は
「天の岩戸開き神事」の当日。
階段は天の岩戸(暗幕)で
閉ざされていました。
ちなみにこの日は天皇誕生日…。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


アメノウズメによる
舞がはじまりました。
日本神話では天の岩戸の奥に
アマテラスが隠れているのです。
この神様を出すために、
岩戸の前で「わっはっは」と
笑い続けると岩戸が開くという
筋書きなのです。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社


宮司様の先導に続いて参拝客が
「わっはっは」と笑いました。
さあ、岩戸がいよいよ開くという
まさにそのとき!
わたしの携帯が鳴ったのです!
「母危篤。至急帰れ」
夫からの電話でした。
それを聞いてわたしはすぐさま
駅へダッシュしました。

天の岩戸を振り返らずに・・・。


電車に乗りながら
「天の岩戸開き、見られなかったな~」
と思いました。
そのときは残念に思いましたが、
今思うと見せてもらえなかった
ということだったとわかります。
なぜならば、

あまりにも絶妙なタイミングで

「はい、そこまで!」

という合図として電話が鳴ったから。
(ちなみに義母は翌朝に亡くなりました。
時代の終焉を示唆されているようでした)


枚岡神社


枚岡の天の岩戸から出てきたのは
アマテラスだったのでしょう。
けれどわたしには、


二度目の天の岩戸開きは
女神は出ない


ということを

明確に知らされていました。
だから女神の出現を

見ることはなかったのです。

弥生文明はもう終わるのです。
これは終わりのはじまりの

幕開けだったのです。

ひふみのしくみ 神武天皇からの二元性闇周期を覆せ


それからのわたしは
神々と歴代天皇のご指示に従い、
隠されてきた歴史を
表に出していったのです。
その記録をブログに
アップしてまいりますね。

こちらも
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藻塩と麻炭生まれの粉ハミガキすみわたるきれい


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