①饒速日と長髄彦を解き放て!神武東征古戦場・ヒノモトを解除せよ!

神武東征と縄文神


ひふみのしくみ本を
早速読んでくださり
ありがとうございます。

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実は本に書けなかったことは
とても多いのです。
そのため本の内容を
より深めていただけますよう
連載記事を書いています。
はじまりはここから。


2017年12月23日天皇誕生日の
艮金神の導きによる行動記録
日下山 (饒速日山)
日下新池(天女ヶ池)
日本最初・春日神社 
河内国一之宮・元春日


この続きは2018年4月16日に
夢を見たことからはじまるのです。

石切から大阪平野を望む


夢の中のわたしは
外国の博物館らしき所にいました。
そこで天皇皇后両陛下(上皇夫妻)が
調印式
サインされたのです。
そのシーンを見て、
ついに皇太子殿下(徳仁親王)に
譲位なさるとわかったのでした。


夢を見た翌朝、
なんと去年の天皇誕生日に

石切神社で購入したおまもりが
壊れていたのです

石切劔箭神社御守


夢を見せられた後でしたから、
これは明らかに
「早よ来なはれ!」
というサインでしたので
石切に行ってきたのです。
今回はその体験記録を
連載で書いてまいりますね。


石切参道


2018年4月22日(日)
午前10:30 石切到着。


石切参道(筆者撮影)
石切参道


近鉄石切駅の線路沿いを
南に歩けばこの石碑があります。
ここの高架下をくぐって
奥の坂道をひたすら登ります。

石切神社上之宮


細く急勾配の坂道を上がれば
上之社があります。
創建は神武紀元2年。



上之社は明治40年に
日本政府の神社合祀政策により
取り壊され下之社と合祀されました。


このことは地元の人々の信仰心を
破壊されたも同然のことでした。


そこで昭和47年に
多くの人々の篤志によって、
上之社は再興されたのです。



上の説明を引用します。

和御魂と荒御魂
神様のお働きには和御魂にぎみたま荒御魂あらみたまという二つの側面があります。和御魂は優しく平和的な側面であり、荒御魂は荒々しい側面です。荒御魂は勇猛果敢で義侠心に富むとされ、その荒々しさから新しい事象を生み出す活力の源とされています。和御魂と荒御魂は同一神ですが別の神様に見えるほど強い個性をお持ちです。伊勢の皇大神宮(内宮)における正宮は天照大神の和御魂をお祀りし、荒祭宮には荒御魂がお祀りされています。上之社では取り立てて石切劔箭つるぎや大神様の荒御魂をおそかしこみ奉斎しております。

石切神社上之宮


ご由緒を紐解けば
和御魂は饒速日命(火の神)
御魂は長髄彦(水の神)。


上之社のご祭神は長髄彦。
だからこそ日本政府に
取り壊されたのでしょう。



そもそも記紀神話は
瀬織津姫を隠したかったために
長髄彦に変えて封じたのです。


瀬織津姫は
長髄彦。
荒御魂は人間がこさえた
罪穢れを祓ってしまうために
長髄彦に書き換えて斬殺され
存在を封じられたのです。

石切神社上之宮


そして親子の牛の像は
牛頭天皇の系譜を示唆しています。
つまり素戔嗚命の系統ですから
出雲系ということです。

石切神社上之宮


そもそも石切神社は
20年ぶりに行ってみようと
思い立った2017年の夏、
たまたまお祭りだったのです。


石切神社本社


その日の夜、

はじめてでんぼの神様が
饒速日命だったことを知りました。
ショックで愕然としたものでした。


なぜなら幼い頃から
この神様はおじいちゃんのような
親しみを感じてきたからです。
このやさしい神様が
天照皇大御神だったなんて…。
この神様こそ

日本人の祖先なのです。

石切神社本社


そしてわたしはなぜか
長髄彦のことも知っていたのです。

石切神社上之宮「登美霊社」


ここは上之社の登美霊社。
ご由緒では饒速日の妻で
長髄彦の妹・登美夜毘売とみやひめですが、
本当は
登美長髄彦とみのながすねひこのことなのです。
鳥居の形状から伊勢神宮の

荒祭宮に相当する社と思われます。

登美霊社


日本の歴史も神話も
無知だったわたしが
どうして饒速日命と長髄彦を
知っていたのかをこのときは
まだ知る由もなかったのです。


登美霊社


本に書けなかったエピソードは
まだまだ続きますよ!

ひふみのしくみ 神武天皇からの二元性闇周期を覆せ


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