悪魔退散の神による日本浄化プロジェクトのはじまりの地はここだった

神武東征と縄文神


9月14日は皆様のおかげで
ひふみのしくみ講演会を
無事執り行うことができました。

豊能町まで来てくださった方、
講演会に思いを向けてくださった
日本各地にお住まいの読者様には
心よりお礼を申し上げます。

能勢電鉄 妙見口駅


講演会の内容は、

『ひふみのしくみ』に書きました
土地と歴史の事実です。

文献は権力者によって
改ざんされてしまいますが、
土地は改ざんできません。

講演会では
土木技術集団の秦氏が
大地の神を方角(測量術)で

正確に示していたことを
スライドを使って解説しました。


実は開催直前に、
地元の吉川八幡神社に
強制的に招かれ、
この地より始まる旨を
自覚させられておりました。


下は吉川八幡神社境内の
艮光明うしとらこんみょう神社。
創建は小林芙蓉さん。

艮金明神社 芙蓉殿


会場は地元の自治会館を
使わせていただいたのも、
偶然ではありませんでした。

東ときわ台自治会館


自治会館はあまりに近すぎて
盲点だったのですが、
町内会の皆さんが準備や片付けに
協力してくださったのです。
本当にありがたいと思いました。

能勢電鉄 妙見口駅


ご参加くださった皆さんが

無事帰宅された後、
改めて吉川八幡神社に
御礼まいりに行ってきました。

吉川八幡神社


ご神馬が
能勢のせ電車とともに
お出迎えしてくれました。
ここは豊能とよの町で唯一、
宮司様(第69代)が
いらっしゃる神社なのです。

吉川八幡神社


朽ち果てた神社を
再建のために寄進されたのが
書画家の小林芙蓉さんでした。

小林芙蓉さんはかつて
豊能町民だったのです。
しかもうちの事業所から
徒歩数分の所に
住んでおられたのです。

吉川八幡神社


わたしがはじめて
豊能町の
吉川八幡神社に呼ばれたのは、
2019年の夏でした。

その日は北海道からご神馬が
到着したばかりだったのです。
下はその時の写真。
満一歳の頃です。

吉川八幡神社


その頃のわたしは、

八幡神社のことも、
御祭神の応神天皇のことも
まったく知らなかったのです。

応神天皇陵


それから3年後、
王仁わに博士の墓に行ったとき
見ず知らずのはず
「小林芙蓉さんと
必ず会うことになる」
と感じたのです。

王仁博士の墓


その直観が的中し、
なんとその3か月後
小林芙蓉さんに招かれたのが
吉川八幡神社でした。

ここは神社境内にも
能勢のせ電車があるのです。

吉川八幡神社


正式参拝の後、直会なおらい
(御神事の後の食事会)をしました。
ちなみに参拝後に
地元の食べ物を皆でいただく
直会をして完了するのが
本当のご神事なのです。

小林芙蓉さんは

持統天皇(鸕野讃良うののさらら)の
生まれ変わりをずっと
探しておられたのです。

讃良は日本初の馬飼の里


小林芙蓉さんは

持統天皇が継体天皇の転生
であることもご存じでした。
そして
継体天皇は仁徳天皇の
生まれ変わりなのです。
ともに応神天皇の系譜です。



応神天皇は
長男の仁徳天皇(大鷦鷯命おおさざきのみこと)の
教育係に王仁わに博士を
百済から招聘しました。

仁徳天皇は
王仁博士がもたらした
「千字文」によって
自然の摂理を学んだのです。

とても不思議なのですが、
小林芙蓉さんの書画の中で
わたしがいちばん惹かれたのは、
「千字文」だったのです。

流水堂 千字文


応神天皇は

根源神と同一なので、
造化三神の天之御中主神あめのみなかぬしであり、
素戔嗚命でもあるのです。

素戔嗚命は
宇宙の正義を司る神であり、
悪魔退散の神様なのです。

奈良県吉野


この神様が働かれることは、

悪魔の根源を浄化する
ということです。

いま日本の悪事が次々と
あぶりだされているのも
その一環なのです。


さて、

わたしは本を出版した後、
国宝の七支刀を見て、
ある記憶を取り戻したのです。
その時に書いた記事はこちら。


わかってしまったのは、
ずっと探していた
天武天皇の生まれ変わりです。
日本を浄化するためには、
この魂のご協力が
絶対に必要なのです。

物事はすべて、
順序通りに明かされるしくみ。
神の計画は流れに
身をゆだねるしかありません。
気楽にしていますよ。

藤原京跡


次は読者のみなさんと
はとバスに乗りたいな~
と思っています。

来年、時期は未定ですが、
「次は東京やで」と、
わたしの魂が言っています。

そしてもう一度、
「『ひふみのしくみ』を
読んでもらいたい
とも言っています。


東京行きのために
今からせっせと働きますよ!



今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。

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