いつもひふみのしくみを
読んでくださり
ありがとうございます。
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神話とは
歴史の勝者が書いた神のシステム。
このシステムで天国と地獄の
二元性を生み出したのです。
本当の神とは
神話の神のことではなく、
宇宙の法則のことなのです。
わが国に天孫降臨と称する
天下りシステムを
もたらしたのは悪魔です。
しかし悪魔は
自分が神と思っているのです。
そのため
どんなに国民を苦しめても
自分が悪いことをしたとは
思っていないのです。
彼らの価値基準は
勝者と敗者の分離意識だから。

彼らは自分たちが
勝者(の子孫)である限り、
天下る特権があり、
敗者(の子孫)は勝者に捧げる
義務があると考えているのです。
このような思考回路を持つ者を
悪魔というのです。

わたしが
本を書く際に意識したのは、
終始一貫したテーマを
過去・現在・未来を通して
統合意識(二元性)と
球体意識(360度)を整合させ
読者の人生に応用できる
宇宙の法則を
具体的に書くことでした。

書籍になったひふみのしくみを
より深めていただけますよう
連載記事を書いています。
はじまりはここから。
2017年12月23日天皇誕生日の
艮金神の導きによる行動記録
日下山 (饒速日山)
日下新池(天女ヶ池)
日本最初・春日神社
河内国一之宮・元春日
この続きは
天皇陛下御譲位の夢を
見たことからはじまるのです。
今回はその続きです。
2018年4月22日(日)
石切神社上之社へ参拝後、
日下山(饒速日山)を
散策することにしました。

11:25分
旧生駒トンネルに到着。
新緑がまぶしいのも相まって、
日下山の封印が解かれた
旧生駒トンネルにはもう、
負の念を感じませんでした。

旧生駒トンネルから
日下新池に向かいました。

11:35 日下新池。
この日はカモ達はいませんでした。

日下新池を散策していると
天然記念物のヒトモトススキの
石碑がありました。


天然記念物
日下のヒトモトススキ
この植物はカヤツリクサの一種ですが、一株の根本からたくさんの茎が出て、ススキに似ているところからこの名がつけられました。茎の先の穂には十数項の小さな種が直径1㎝くらいのかたまりになり、段々になって無数についています。本来は暖地の海岸に生えるものですがこのように海から離れたところに群生するのは珍しく、古くは海岸線がこの付近まで来ていたことを示す貴重な植物です。昭和49年(1974)3月に東大阪市の天然記念物として指定されています。
(東大阪市HPより引用)
1300年前に
編纂された歴史書には
ヒトモトススキに関連する
重大な情報が込められています。
それは記紀編纂者が
神話に張った伏線なのです。
そのことについては
改めてご説明いたしましょう。
なにせ
日本の歴史は奥が深すぎて、
神話は伏線だらけなのです。
これを回収しなければ
呪詛を看破できないのです。

池の向こう側にある
パンドラの丘に行ってみました。

パンドラの丘はもともと
孔舎衙健康道場として
昭和12年~17年秋ごろまで
使われた結核療養施設でした。
今はハイキングコースの
休憩所になっています。

この健康道場で療養した
太宰治のファンの男性から
遺贈された病床日誌を題材に
書いた小説『パンドラの匣』が
その名前の由来なのです。
ちなみに
パンドラの箱の意味はこちら。
パンドラの箱とは
ゼウスがパンドラ(ギリシャ神話での人類最初の女性)に持たせたあらゆる災いの詰まった箱。(本来は壺)彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。
(出典:Goo辞書)
ここから
1kmほど日下山に入ると
イノラムキ古墳があります。

「イノラムキ」の由来は
「太陽に向かって祈る」
という意味なのです。

イノラムキ古墳の築造は
7世紀中頃~後半。
つまり大化の改新の頃です。
被葬者は
日下部氏とされています。
つまり日下を本拠にした物部氏。
日下新池から丹波神社へ。
ここは江戸時代の日下村の
領主が祀られていました。

丹波神社から日下神社へ。
日下神社はかつて
日下古墳だったそうです。

日下は古墳時代中期に
日下山=饒速日山を目指して
海を渡って帰国した
物部氏の本拠なのです。
彼らは日下を開いた
素戔嗚ー饒速日ー可美真手の系譜。
つまり男系の太陽信仰。

しかし
後に渡来した帰化人によって
神の男女が
反転されてしまったのです。
その信仰形態は
自然界には存在するはずのない
女神の太陽神(天照大神)を
最高神とする宗教なのです。
これを正当化し、
国の省庁を騙る宗教法人が
神社庁というわけです。

神社庁の玉垣に囲まれた
物部守屋の墓は
明治時代に封じられたのです。
このことについてはこちら。
2017年頃に
神社の数を調べたことがあります。
東大阪市は無人を含めた
神社が260社くらいありました。
(他市は~80社ほどでした)
東大阪市の神社の
数の多さは尋常ではないですが
約260社のうち3分の2は
神社庁に非加入だったのです。
東大阪市は物部氏の本拠なので
神社庁に加入していない神社が
特に多いのです。
石切神社はその筆頭です。

神職が家業だった忌部さんは
神社庁から宮司が派遣される
システムになってから
家業を辞めたと言っていました。
これは
神社の天下りシステムです。
天下りシステムは派遣=覇権。
神話のプログラム通り、
他所から来た者が
地元民を追いやって支配する
アマテラスーニニギー神武の系譜の
方法論。
天下ってきた外来神は覇権主義。
このシステムによって
日本の国柄が覆され、
日本人は苦しめられてきたのです。
外来神のシステムこそ
「パンドラの箱」だったのです。

さて次に向かったのは
日下不動尊です。
ご本尊は
水掛け不動尊でした。

この日はスマホを使わず
道しるべだけを頼りに
日下を歩いていたわたしは、
とんでもない展開となるのです。
さて、どうするどうなる⁉

今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。
次回に続きますよ!!
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