日本の多様性は「郷に入っては郷に従え」「和して同ぜず」が大前提。

歴史と政治の本質


いつもひふみのしくみを
お読みくださり
ありがとうございます。

ひふみのしくみブログは
2017年12月より導かれるままに
歴史について書き始めました。
振り返ってみますと
悪役にされた者たちの足跡を
たどってきたように思います。

その流れでわかっていったのは、
歴史で名を馳せた人物は誰しも
神を敬う信仰心が根底にあり、
一族に恥じぬ行動を取っていた
ということでした。


それは
世のために尽くす滅私奉公の
精神の発露だったのです。


阿弖流為と母礼の塚


このことは最も肝心なことなのに
教科書に書かれることはありません。
そのため文献よりも
実際にその史跡に訪れて
その人物の思いを感じてみることが
大事なのだと思います。


歴史上の人物には
守護神がついていましたが、
その者たちは

必ずといってよいほど
政争に巻き込まれてきました。

その理由は原因の世界で
神と神の対立があったからです。
だからずっと我が国の政治は
対立関係が続いてきたのです。


日本の神はもともと
八百万の神といわれるように
多様性に満ちていながらも
違いを認め合って

共存共栄してきました。

阿弖流為と母礼の塚


日本には土着の神と
外来の神がいます。
土着の神は国つ神と言われる
地球と馴染みのある神です。


外来の神は天つ神と言われる
外宇宙から飛来してきた神で
地球と馴染みがありません。


地球と馴染みがあるか否かは、
地球の回転方向と
同調しているか否かで
判断することができます。


地球と馴染みがないということは、
地球とは逆回転の宇宙から来た神
ということになります。


結局のところ神の対立関係は、
地球を舞台に繰り広げられてきた
縄張り争いだったのです。


枚方市淀川河川敷


しかし日本人には
争いを避ける民族性があります。
相手は自分と考えが違っていても
互いに干渉しないことで
争わず棲み分けてきました。


この知恵によって
互いに交流しつつ、
良いことは取り入れて、
生活の質を向上させてきたのです。
こうして日本は多様性豊かな
文化を育んできたのです。


ですから日本はもともと

一つの国でも単一民族でもなく
多種多様な民族の集合体が
共存共栄してきた
地方自治連合体なのです。


つまり八百万の神とは
地元に根差した神々の連合体
ということです。


近つ飛鳥博物館


ところが地方自治を平らげて
統一国家にした神がいます。

我が国に天孫降臨した天つ神です。

地方自治連合体を
統合するためには、
土地も思想もルールも
統一しなければなりません。


そのためには土地を平らげ、
民族固有の多様性を消し去り、
思想やルールの統一が必要でした。
それが原因で

争いになってきたのです。


宇宙の法則には他者に対して

「干渉してはならない」

という掟があります。

地方を一つの国に統合することは、
各地に干渉しなければなりません。
天つ神は
宇宙の法則に抵触していたために、

土着民は従うことを拒みました。

ところが天つ神は、
相手が言うことを聞かないこと

顧みることなく自己を正当化し、
武力行使で土着民を
次々と滅ぼしていきました。

非人道的手段を行使したことさえ
土着民に責任転嫁した天つ神は、
土着民に終生償わせ続けるため、
国を統合しつつ支配したのです。

これは共存共栄とは正反対の
支配者と被支配者の関係です。



悪魔の実態は、
地球の回転方向とは逆の考え方
=自我意識です。


自我意識は
本来宇宙には存在しない
不調和をもたらす意識です。

自我意識は
自ら不調和を起こしたことも
顧みず自分を正当化し
相手に責任転嫁します。
そのためさらに不調和を起こし
禍が拡大してしまうのです。


例えば
日本の車道は左側走行ですが、
外国はほとんどが右側走行です。
この日本において外国人が、
自国のルールを持ち込んで
正当化すれば逆走になり、
100%大事故を起こします。

そのためいかなる民族も
その国のルールに従うことが
絶対条件なのです。
これを日本人は

「郷に入りては郷に従え」

と戒めてきました。

郷にっては郷に従え

由来は中国語の諺『入郷随俗』
意味:その土地(又は社会集団一般)に入ったら、自分の価値観と異なっていても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をとるべきである。


この簡単な道理を
誰しも実行すればよいのですが、
自我意識が強すぎるために
簡単にいかないのが現状です。
今の世の中はその極致です。

日本は古より

あらゆる文化を受け入れてきた
多様性社会でした。
しかしその大前提は


「和して同ぜず」

でありました。

「和して同ぜず」

由来は『論語』の「子日わく、君子は和して同ぜず。小人は、同じて和せず。」
意味:「孔子が言った。学徳ともにそなわった君子(人格者)といわれる人物は、人達とやわらぎ親しむが、付和雷同(自分にしっかりした意見が無く、軽々しく、他人の意見に同調)することはない。学徳のない、器小なる小人(下劣な人、君子の反対の意味)は、その逆である。」

つまり、「人の意見に引きずられたり、安易に妥協したりしない。協調することは大切だが道理に合わないと思うことは同調してはならない。」ということ。


日本はつまり
「郷に入りては郷に従え」
「和して同ぜず」
暗黙の了解として他者を受け入れ
多様で寛容な社会を
形成してきたのです。



さて我が国は2020年に
獅子身中の虫が
国体から破り出て以来、
多様性は認めないが多様性別を
押し付ける国に変貌しました。

その結果、
不寛容と理不尽さが目に余る
無慈悲な世に劣化しました。


悪魔とその下僕は
多様性を主張していますが、
日本に外国のルールを押し付けて
日本古来の文化やルールを
無くしてしまいたいのです。

だからこそ
日本の伝統を守りたい政治家を
悪者にして叩き、排除し、
政治の世界から
追放しようとしているのです。


神武東征孔舎衙坂古戦場


しかしそれは明らかに
多様性の主張と矛盾しています。
それでも矛盾を正当化するならば
物狂いとしか言いようがありません。


物狂いは自分が狂っていることに
気づいていないのです。
このような自己矛盾と

論理破綻している者こそ
政治をさせてはならないのです。


それは差別ではなく、
排除して追放することでもなく、
あくまでも本人と
日本国民の生命と国益を守るために
必要な配慮なのです。


これは自由と配慮を
主張している方にとって
最も必要な「事由」であり、
合理的な「配慮」なのです。


歴史が繰り返してきた
同じ轍を二度と踏まぬよう
日本人の霊性進化向上のために
悪仕組みを明かしてまいります。


続きます!

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