③わが国が隠し続けた日本建国の天皇は天武・持統天皇

歴史と政治の本質


奈良県橿原市には、
歴史ロマンあふれる遺跡が
数多くあります。

近年新たに分かったことは、
飛鳥時代に築造された藤原京は
耳成山、畝傍山、香久山の
大和三山をすっぽり囲む
近畿最大の都市だった

ということです。

わたしは
藤原京へ行って気づいたことを
連載形式で書いて参りました。

藤原京跡


藤原京跡の大極殿の真北には
耳成山が位置し、真南には
天武・持統天皇陵があります。

わたしはこのことに、
重大な事実に
気が付いたのです。
方角を定めて藤原京を造営したのは
かつて巨大前方後円墳を築造した
秦氏であることに。


巨大前方後円墳は古墳時代中期に
秦氏の土木技術で作られました。

そして藤原京もまた、
彼らの活躍で完成させたのです。


『よみがえる藤原京』


なぜなら持統天皇、
つまり鸕野讃良皇女うののさららのひめみこ
秦氏の地名が名付けられたとおり、
秦氏に養育されたからです。

持統天皇が
藤原京を完成させられたのは、
彼らのはたらきがあったからです。


四條畷市歴史民俗資料館


讃良は我が国で初めて
馬の牧場が開かれた土地でした。
秦氏が命がけで馬を船に乗せて
故郷に帰ってきたのです。

ここで育てられた馬は
河内王権に出荷されていました。
讃良の砂では
馬の骨が出土しています。


近つ飛鳥博物館


秦氏が棲みついた土地は
讃良川流域に点在する
縄文時代中期の遺構であり、
砂遺跡の真東には
饒速日命の御神体があります。
秦氏は縄文の神を奉じる一族
だったのです。



秦氏は
技術職を分業する一族の総称です。
土木技術、養蚕、染織、造酒、
埴輪、かまど、彫金、造船、
馬飼、鞍作、製塩などの職人は
代々長男が家業を継承してきました。


四條畷市歴史民俗資料館


秦氏は龍体の形態をした神国を
大陸の脅威から守るために
時代に即した国防の術を
わが国にもたらしました。

飛鳥時代に
巨大な藤原京を築造したのも
国防対策の一つだったのです。


藤原京跡


それまでは小さな宮を
天皇一代ごとに造営していましたが、
代替わりのたびに宮を作っていては、
国防の観点では脆弱な体制です。

天武天皇が即位した時点では
父・舒明天皇と母・斉明天皇
が用いた飛鳥宮を再利用して
飛鳥浄御原宮きよみはらのみやとし、
唐の長安城に比肩する
わが国にかつてない巨大な宮を
築造する計画を立てたのです。

天武天皇は志半ばで崩御したため、
鸕野讃良皇后が遺志を継いで即位し
藤原宮を完成させたのです。
ここで代々の天皇が
恒久的に政を行えるように。


奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室


このことは
秦氏の存在なしで説明できません。
わたしはこのことに
古墳時代中期の再来だったと
気が付いたのです。

なぜなら天武ー持統朝は、
応神ー仁徳朝の再来だからです。
(このことは改めてご説明します)


百舌鳥古墳群


古墳時代中期に
突如現れた巨大前方後円墳は
何のために作られたのか。

大陸の文化を知る秦氏は
秦の始皇帝の墓よりも
巨大な大王墓を作ることで
大陸の脅威を牽制したからです。

藤原京はそれと同じ理屈で
作られたと考えることができます。



わが国の都市化が急がれたのは、
地球の回転周期が
闇の周期を潜り抜ける間は
必然の対策でした。

外国で発祥した文明が
わが国にもたらす影響は、
侵略と物質的価値観だからです。

日本が物質的に未発達のままでは、
外国にあっという間に支配され、
神の国は失われてしまいます。

それを未然に防ぐためには、
外国の最新の文化を取り込んで、
侵略されないための国防対策が
必要だったのです。


今城塚古墳


秦氏がわが国にもたらした鉄と馬は
いずれも軍事に用いられました。
それはあくまでも
神の国を護持するためでした。

彼らは土着民を滅ぼすことなく、
むしろ生活の質を向上させたのです。


近つ飛鳥博物館


このように
時代に応じて秦氏は
わが国の国防体制を

整えてきたのです。

今城塚古墳


飛鳥時代、
白村江の戦いに

大惨敗したわが国は、
近隣諸国を次々と滅ぼしていた
唐の脅威から国を守るためには、
唐の長安に比肩する都市化と
国防対策が喫緊の事態でした。



しかし、
近江朝を牛耳っていた
中臣氏(のちの藤氏)によって
朝廷秩序が崩壊していたために、
朝廷内の大掃除から
取り組まねばなりませんでした。

近江朝に巣くう獅子身中の虫を
取り除くために起こしたのが
壬申の乱だったのです。


瀬田の唐橋


壬申の乱で勝利した天武天皇が
これまで通りに小さな宮を
新たに作らせていたなら、
皇位を奪うための戦だったと
結論付けてもよいかもしれません。


飛鳥浄御原宮跡


しかし天武天皇の目的は
天皇の地位ではありませんでした。

先代が唐人の家臣に心酔し、
意のままに操られていたために
悪政を繰り返していたからです。

朝廷奪還のために八咫烏が
天武天皇(大海人皇子)の
後ろ盾になったのは、
わが国と民を守れる皇族は
大友皇子ではなく、
大海人皇子だったからです。


八咫烏神社


八咫烏は物部氏・賀茂氏であり
縄文の神を奉じる古代祭祀族です。

天武ー持統朝が
正統なる歴史で1300年間以上も
封じられてきた理由は、
古代祭祀族を後ろ盾にし、
天皇中心の政を執ったからです。

このことが誰かにとって
非常に都合が悪かったのです。


藤原宮跡


秦氏は厳格な男系氏族であるように
天皇は男系であり万世一系なのは、
生命の継承が本質だからです。

大和民族が男系であることの本質を
学校教育で教えないのは
天武ー持統朝を封じてきたことと
同じことなのです。

続きます。


今回も最後までお読みいただき
ありがとうございます。


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