超国宝展レポートの続きです。
さてついに
七支刀との初対面です。
七支刀は石上神宮のご神宝です。
七支刀は
発掘されたのではなく、
石上神宮に納められていため、
大変保存状態が良かったのです。
石上神宮が七支刀を
国宝展に出展された経緯は、
下のリンク記事からどうぞ。
七支刀は今回の国宝展の
目玉だったこともあり、
特別室を設けられ、
厳重に展示されていました。
多数の来場者がいたというのに
なぜか人払いが起きて
わたし一人だけで
貸し切り状態になったのです。
特別料金を
払わなあかんかったんちゃう?
ってくらいに長いこと
対面させてもらえましたよ。
369年につくられたとされる
七支刀は意外と小さかったです。


1600年以上もの昔の剣が
現存すること自体が奇跡です。
その上、
金の文字が残っていることも
奇跡と思われます。
しかしところどころ
消えている文字があるために
判読が困難だったようです。
七支刀 銘文(訳)
(表)(七支刀・表の銘文)
「泰□四年十□月十六日丙午正陽造百練□七支刀□辟百兵※宜供供侯王□□□□□」(※「宜」の上は「ワかんむり」)
(解釈の1例)
「泰□四年の十□月十六日、刀剣を造るのによい日と時刻を選んでよく鍛えた鉄で七支刀を造った。この刀はあらゆる兵器による災害を避けることができ、礼儀正しい侯王が所持するのにふさわしいものである。□□□□□」
(裏)(七支刀・裏の銘文)
「先世以来未有此刀百済王世□奇生聖音故為倭王旨造伝示後世」
(解釈の1例)
「先世以来、このような刀はなかった。百済王の世子である私は、神明の加護を受けて現在に至っている。そこで倭王のために(この刀を)精巧に造らせた。末永く後世に伝えられることを期待する」
七支刀は
最も太陽の気が強い正午に
百錬の鉄で作られ、
あらゆる禍を除けるようです。
百済王の世子から倭の五王への
親交の証だったようです。
七支刀が作られた四世紀末は
応神天皇からはじまった
太陽信仰でした。

七支刀については
本に書きましたように、
仁徳天皇の記憶がよみがえった
印象が強烈だったのですが、
今回七支刀と対面しても
何も感じなかったのが
正直な感想です。

そこで一度
七支刀の展示室を出て、
他の宝物を見に戻ってから
今度は主人と一緒に
七支刀を見に行きました。
するとまた人払いが起きて
貸し切り状態になったのです。
この現象は何を意味していたのか
わかりませんでしたが、
やっぱり何も感じなかったので
そのまま出口へ向かいました。

超国宝展に行った当時は、
連載記事を書いていたので
その続きを書きました。
このことに意味があったのです。
七支刀と対面したときには
何も感じなかったのに、
今回七支刀の記事を書いていて
メッセージを受け取りました。
物は朽ちるものである。
しかし
記憶をよみがえらせる
装置となりうる。
記憶を取り戻したなら
その役割は終えたのだ。

説明しにくいのですが、
体験させられたことの意味は
後から分かることが多いのです。
しかも時系列通りに
体験することはほぼありません。
宇宙には
時間の概念がないからです。
体験した意味がわかるには、
高次領域から個別に情報を
受け取るために
外部情報(ネット)を遮断します。
その間に夢で伝えられたり、
偶然を装った現象で知らされたり
直観を受け取ったりします。

外部情報は検証するための
最後の作業に使いますが、
個別に降ろされた情報は
シークレットなので
ネット上には出ていません。
わたしは国宝展に行った後に
思いもよらない情報を
直観で受け取っていました。
それを裏付けるように
夢で明確に知らされました。
それも念を押すように複数回。
「そのこと」はわたしが
考えたことではありませんので
目が覚めるような爽快感と
神仕組みに感動しましたよ。
それが本当なら
神々と歴代天皇の悲願成就となり
物質文明の終焉となるはずです。
それが日本再生の
一縷の希望となるでしょう。
そして令和の世に
世界平和への道が開けると
思ったのでした。
このことについてはまた改めて。

国宝展を出た後、
ある所へ行くことになり、
そのことにつながっていくのです。
この続きは次回に!
今回も最後までお読みくださり
ありがとうございます。