「争わない」老子が向かった先は次世代領域だった。

直観・記憶・叡智


みなさま、
あけましておめでとうございます。
年末年始はご家族と過ごされた方も
お仕事に携わっておられた方々も
新年をともに迎えられましたこと
感謝しております。

メールをくださった皆様には
この場をお借りして
御礼申し上げます。


初詣は地元の吉川八幡神社へ
ご参拝しました。


令和7年(2025年)は

巳(きのと・み)で
乙巳(いっし)の変

と同じ暦なんですよ。
と神主さんに教わりました。


陰陽五行で「乙巳」は
「火の陰」と「木の陰」で
相生の関係にあるため、
物事が順調に進む年だそうです。

同時に、
陰と陰で陰が極まる年…。



乙巳の変かあー。。。

と思いました。(そこか!)


ところでわたしは
新年を迎えるにあたり無性に
『老子』が気になっていました。
『老子』は長髄彦にとりつかれた
高校時代に出合い、

強烈な衝撃を受けました。

このころのわたしは自分の
変人ぶりに本気で悩みましたよ。

だって
JK女子高生の頭の中が
最強のラスボス(長髄彦)と老子

だなんて知られてしまったら、
お嫁に行かれへん・・・。
(だから主人にも黙っていました)



それから月日が流れ、
鍼灸の仕事に従事しはじめて
3年くらいたった頃、
自分の未熟さに打ちのめされ

原点に立ち帰って
古典から学び直したのです。

中国医学の理論は
陰陽、五行(木火土金水)、
八綱(陰陽・虚実・寒熱・表裏)
というように
宇宙の法則に基づいています。

古代中国でもとりわけ
宇宙観を述べた諸子百家が
老子、荘子、列氏でした。



『老子』は宇宙の根源を
「道」と表現して説き、
統治者としての政治理念を
「徳」として説きました。
道・徳の両輪を治めることが
天の道であると教えたのです。


老子は宇宙意識であると
わかったわたしは、
不思議な夢を見たのです。

夢の中で
「あなたが会いたい人物に
会わせてあげます」

とある男性から紹介されたのです。
そのとき、
その男性の横にいたのは人ではなく
1m大の白光の玉だったのです。



その白光は
太陽のごとく強烈な光を
放っていました。
わたしはなぜか光の玉が
老子だとわかったのでした。

令和7年を迎えるにあたり
『老子』を読んで
このことを
思い出したのです。



老子は2500年前の人です。
勤めていた役職を辞して
『老子』を書き残し、
牛に乗ってどこかへ
行ってしまったらしいのです。

道を体得していたからこそ
名乗りをあげず、
誰にも知られない偉大な仕事を
為したことさえ語らず誇らず、
表に出なかった陰徳の人は、
一体どこへ行ったのでしょう。


老子が生きていた時代は、
群雄割拠の春秋戦国時代。
日本においては縄文と
弥生の過渡期にあたります。

これから世の中はますます
争いが激しくなる。
争いを避けて立ち去った老子は
縄文人のような人だった。

老子が説いた


「争わない」
「水のようであれ」


これは太陽信仰の教えではないかと
久しぶりに読んで思ったのです。


「道」は命を生み出す万物の源。
母性社会は争わないのです。
大国主の治世はまさにそうでした。



けれどヒミコが登場してから
母性社会ではなくなったために
争いと奪い合いの世の中になり
現在はその極みにあります。

老若男女・民族を超えて
みんなが奪い合いの世に
疲弊しています。
母性に飢えています。


母性社会に戻すには
男が陽、女が陰の位置に

戻すだけでよいのです。
そうすれば
戦争も納まるのです。

戦争が起きるのは
女が原因なのです。
女が上に立って命令すれば
戦で死ぬのは男たちばかり。


国のリーダーを担う男たちは
誰しも戦争をやめさせたい。
兵をこれ以上死なせたくない。
男たちがみんな死んでしまえば
民族が滅びてしまうのだから。

けれど戦が収まらないのは
女がいつまでも

世界の頂点に居座っているから。

この構造を知れば、
いかなる集合体でも
女を上に立ててはならぬ
道理がわかるはず。


ところで、
老子を紹介してくれた
夢の中の男性は、
アガルタの人でした。

このことについては
2025年になってやっと
開示されたようです。
詳細は、
第十回youtubeの続編として
お伝えしたいと思います。

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そのままお待ちください。

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