前回の続きです。
超国宝展の次に訪れた藤原宮跡で
わたしが確認しておきたかったのは
鴨公神社がどうなっているか
ということでした。
2024年は
天武天皇が日本を建国して
1350周年だったのですが、
大極殿跡に建てられた鴨公神社は
このような状態だったのです。

ところが翌年の
2025年4月の鴨公神社は、
木の本幹がなくなっていたのです。
幹の内部が朽ちていたようでした。
玉垣も倒れていました。

去年の2024年7月の時点で
鴨公神社が封印されていたことは
わかっていましたが、
このような状態になっているとは
思いもよりませんでした。

2024年の時点で木は紙垂で
取り囲まれていましたが
数年前までは
紙垂も縄もなかったのです。
紙垂で囲った木を朽ちさせて
放置していたのですから
この措置は明らかに呪詛です。

昔からここに落ちている枝を
持ち帰ると禍が起こる
と言い伝えられてきたことから、
大極殿跡の鴨公神社は
祟り神を祀ってきたのです。
祟り神とは縄文の神すなわち
法則神のことです。

法則に従った神政を執る
天皇中心の国づくりをするために
造営された藤原宮は、
法則に逆らった藤原氏にとって
大変都合が悪かったのです。
だからこそ
藤原宮跡は捨てられたまま
忘れられてきたのです。


そして大極殿跡に建てられた
持統天皇文武天皇の石碑は
このような状態になっていました。

天皇の名を刻んだ石碑の正面に
木が生い茂っている様は
あまりにも不自然です。
根本にも木が生えているので
完全に覆い隠したいのでしょう。

石碑の正面はこんな状態です。
木の生長具合から、
平成の終わりごろに
植えられたと思われます。
誰の命令ですかね!?
ちなみに
この石碑が建てられたのは
110年前の大正4年でした。

鴨公神社と
持統天皇文武天皇の石碑を
建てたのは縄文の祭祀族の
ご末裔と思われます。
しかし
記紀の効力が切れる2020年に
封印が解かれる時期に合わせて
縄文神が封じられたことが
藤原宮大極殿の状態から
よくわかります。

けれども確かに2020年に
縄文の神々は復活したのです。
だからこそ日本政府は
逆方向に突き進んで
神に抵抗しているのです。
その理由が
超国宝展と藤原宮跡に行った後、
直観でわかってしまったのです。
そのことを裏付けるように
夢で二度知らされました。
そのことを書いた記事はこちら。
このことは9月14日に
お話するかもしれません。
神政で日本国を建国した
天武・持統夫妻の本当を
歴史の教科書に書かれることは
ありません。
だからこそ、そのことを
ひふみのしくみで
表に出してきたのです。
記憶を取り戻した者は誰しも、
与えられた天命を
成し遂げようとするのですよ。
お知らせ
ひふみのしくみ主催の
会合を企画しています。
2025年9月14日(日)
11:00~(開場予定)
大阪府豊能郡豊能町(予定)
詳細はブログでお伝えします。

今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。