男は男らしくあれ
女は女らしくあれ
父親は父親らしく
母親は母親らしく
その姿を子が見倣い
子々孫々してきたのだ
(アテルイの言葉)
前回の続きです。
わたしは以前、
天皇陛下と安倍さんのことを
ブログに書いたことがありました。
「新天皇と安倍総理は
後醍醐天皇と大楠公」
(2019年5月20日)
当時、今上陛下と安倍さんの
ツーショット写真を見たときに
後醍醐天皇と楠公さんを
思い出したので、
後醍醐天皇と大楠公は
ニギハヤヒとナガスネヒコ
だと書いたのです。
饒速日を奉じた初代南朝を
「正統なる天皇」として
命を捧げて忠誠を尽くしたのは
楠木正成だった。
天皇と河内の土豪。
出会うはずのない二人が
身分を超えて出会ったのは、
饒速日と長髄彦が
魂の再会を果たしたから。
そのことを書いて以来、
長髄彦
秦河勝
阿弖流為
楠木正成
河内馬飼首荒籠
賀茂君役小角
つまり
アラハバキ神の子孫たちが
わたしを導いてくれたのでした。
後醍醐天皇が
楠公さんと出会ったのは、
夢に神の使いの御子が現れ
神託を受けたからでした。
「これからしばし
この世は乱れましょう。
そこで帝のために
南の木の陰に
席を設けました。
しばらくはそこで
お過ごしなされませ」
「南の木と書いて楠」
後醍醐天皇は
楠公さんを探し出して
頼りにされたのです。
いつの世も天皇は
乱世に陥った際は、
霊夢で神託を受けては国難を
乗り越えてこられたのです。
それは神託に従った
神政だったからです。
そのことについてはこちら。
南北朝時代は
天皇が二人存在した異常事態。
誰もが乱世に翻弄され、
多くの命が失われてしまいました。
天皇に呼ばれた楠公さんは
男系太陽神を奉じておられた
後醍醐天皇こそ
正統なる天皇であると信頼し
忠誠を尽くしたのです。
「乱世が鎮まり
民が無事に暮らせる世が
実現するならばこの命、
いかようにでも御上のために
お使いくださいませ。」
2019年は
新天皇ご即位の知らせが
日本中を駆け巡り、
平成の世で疲弊しきった日本は
祝賀ムードに包まれていました。
わたしも
これまで何度も引き裂かれてきた
ニギハヤヒと長髄彦が
やっと再会できると確信し、
ヒノモト復活に
心躍らせていたのです。
あのときはまさか安倍さんが
暗殺されてしまうなど
思いもよりませんでした。
わたしは
歴史のことはほとんど知りません。
予備知識もなく参考資料も使わず、
直感ー行動ー体験した記録を
ブログに書いてまいりました。
なぜなら
直感は内在神からの啓示ですが、
文献は人間が書いた記録です。
直感は改ざん不可の内部情報ですが
文献は改ざん可能な外部情報なので
信頼できるのは前者だからです。
そのため
文献を参考にするのは一番最後です。
その流れでわかったことは、
記紀神話のわが国最大の逆賊は
神武天皇に最後まで抵抗した
河内・生駒の族長・長髄彦。
その正体は
饒速日命の妻・瀬織津姫。
この魂の奥底から出た直感は
確神となりました。
女を男に 男を女に
神の性別を書き換えられたのが
『日本書記』
わが国の痛恨の極みは
外国人によって神の男女が
逆さまにされてしまったこと。
『日本書記』によると
天の岩戸から出たのは女神であり
その5代孫が神武天皇なのです。
神武天皇は
饒速日命が作った日下国を
奪いに行ったのです。
ところが
武力侵略を事前に察知していた
長髄彦は国防を整えて
待ち構えていたのです。
神武軍は長髄彦軍に
大惨敗を喫してしまいました。
そのため長髄彦は
我が国最大の逆賊として
封じられたのです。
瀬織津姫の名を書き換えられて。
男女は生命創造の基点。
男女を入れ替えれば
生命創造の原理が反転し、
生命破壊プログラムとなる。
そのため人々の命が失われる
暗闇の世となったのです。
しかし
プログラムには期限がある。
1300年間の期限を迎えたのが
2020年だったのです。
ところが令和になってから
一部の政治家とマスコミが
結託して喧伝しはじめたのが
「多様性別」
「夫婦別姓」
これらは生命の秩序と
日本の国柄を破壊する思想。
世界的疫病詐欺が蔓延した時期、
マスコミは
太陽を悪者にして恐怖を蔓延させ
性別と我が国の婚姻形態の破壊を
人々に植え付けたのです。
安倍さんは令和になって
戦後、外国人によって書かれた
日本国憲法を改め、
国防体制を適正に整えるために
9条を改憲することの必要性を
世に訴えていました。
ところが
参議院選挙を目前に控えた
街頭演説中に、
奈良の大和西大寺で
暗殺されてしまったのでした。
9条護憲派は
安倍さんを悼むどころか
マスコミと共謀して
故人となってしまった
安倍さんの悪口を言っては、
叩き続けていたのです。
安倍さんが亡くなった後に、
応神天皇と縁ある方から
安倍さんの魂は
後醍醐天皇の側近だったと
知らされました。
わたしが2019年に
天皇陛下と安倍さんを見て
後醍醐天皇と大楠公を感じたのは
偶然ではなかったと
このときわかったのです。
安倍さんの反対派は
国防に徹した長髄彦を
人々の記憶から消し去った一族。
長髄彦は男系を守るために
国を守りたかったから。
つまり
長髄彦を封じた者は女系。
だからこそ
断固女系天皇を反対してきた
安倍さんが邪魔だったのです。
大事なことですから
続きを書いてまいります。
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