不変の哲理は宇宙の法則であり秩序である。これが神の本質なり。

歴史と政治の本質

不変の哲理とは何でしょう。
不変があれば変化があります。
この正反対は
片方だけでは存在できません。
それがこの物質次元の絶対条件です。

昭和天皇を補佐し、歴代総理大臣、
財界人、皇族に薫陶を与えた
陽明学者・安岡正篤先生は、
宇宙創成の原理を記した『易経』をもとに
国政に携わる人物を指導していました。


詳細はこちら。


では『易経』の根本とは何でしょう。
『易経』繋辞伝(けいじでん)
「易に太極あり、これ両義を生じ、
両義は四象を生じ、四象は八卦を生ず」

と記されているように、
一なるものから陰と陽に分かれて
万物が生み出されます。

生み出すのは創造の原理です。
創造があれば破壊があります。
このように、不変と変化、
創造と破壊も対極にして一対です。
三次元世界は必ず
上下・左右・前後があります。
これらは非物質の概念ですが
相対関係で陰陽に分かれています。

物質と非物質は正反対です。
物質は必ず変化しますが、
非物質は不変です。
肉体は老化し必ず死へ向かいますが、
霊は非物質なので死にません。
この正反対は不変です。
つまり不変の理の中に
変化があるということです。

不変変化
 非物質   物質 
肉体
還元酸化
創造破壊

宇宙は太極から生まれ
動的エネルギーにより
左回転と右回転に分かれます。
この地球は左回転の天の川銀河の
太陽系に属しています。
太陽を中心にして
左回転に惑星が公転しています。
そのため地球においては
必ず東から太陽が登り西へ沈みます。
それは一日も休むことはありません。
このことは秩序ある不変の理です。

 陽  陰 
肉体
人間
太陽地球

陰と陽は無限に分かれますが
必ず正反対を一対とし、
対等でかつ優劣はありません。
この地球において人間は、
根源の一なる神(非物質)から
男女に分かれて誕生(物質化)します。
男は種を残し、女は子を産みます。
両者に逆のはたらきはできません。
そのため男女は一対で対等ですが
男女の関係は不変の理
であることがわかります。

近つ飛鳥博物館

陰陽が合わさってすべては創造されます。
男女が合わさって子ができます。
一個の受精卵が二つになり、
二つが分かれて四つになり、
その四つが分かれて八つになるように
生命の発生機序には秩序があります。

「易に太極あり、これ両義を生じ、
両義は四象を生じ、四象は八卦を生ず」

『易経』繋辞伝

宇宙も人間も創造の原理は同じで
すべてに秩序があることがわかります。
この法則こそが神であり、
神は秩序どおりに創造します。
そのため作られた者(人間)が
法則(神)をいじることはできません。
これは絶対的なルールです。


けれども
「陰が極まれば陽に転じ、
陽が極まれば陰に転ずる」

というように自然現象には
転化することがあります。

転化とは、他の状態・物に変化すること

転化とは陰陽の原理のひとつです。
たとえば東洋医学で例を挙げますと、
「冷えのぼせ」が陰陽の転化現象です。
体が冷えきってしまったために、
顔が火照り汗が止まらなくなる現象です。
この場合は体が冷えすぎたために
熱に転じて顔が火照るのです。
陰陽の転化現象が起きた場合は
全体の不調和を起こすために、
元の状態に戻すことが必要です。

(体を温めるには根菜を食べるとよい)

このように自然界は陰陽の法則に
支配されていることがわかります。
その法則の支配下に人間も存在し、
人間は法則(神)に従っていれば、
調和した状態になるのがわかります。
不調和な現象が起きたときは、
調和した状態に戻せばよいのです。

陰陽のはたらきは他にもありますが、
後のページにて説明してまいります。

百舌鳥古墳群


さて、仁徳天皇の国造りは
沼地の大阪平野と暴れ川を
治水することからはじまりました。
ありのままの自然の状態では
人間は生きていけません。
そのため人間が生きていくためには
自然に手を加える必要がありました。

今城塚古墳


仁徳天皇は
人間の生命と暮らしを守るためには
どうすればよいかを創造するために
天皇という存在があるのだと言いました。
「天は民のために君を与えた」と。
つまり天皇は
神のしもべとしてはたらく立場です。
政は神の意思を伺い実践するのですから、
治水事業は水の神に従わねばなりません。

長曽根神社

その事績が
『日本書紀』に記されています。
以下は堤根神社より引用文です。


仁徳天皇十一年10月。
宮の北の野原を掘って、
大和川を大阪湾に通した。
これを堀江という。
また、淀川の泥を防ぐために
茨田(まった・まんだ)の堤を築造した。
この時二か所ほど
築造に難航した堤防があった。
天皇は夢で神託を受け
武蔵強頸(むさしのこわくび)河内茨田連(かわちのまんだのむらじ)衫子(ころものこ)
二人を人身御供として
川の神に捧げることにした。

茨田の堤


強頸(こわくびは泣きながら水に入って死に、
その堤防は完成した。
衫子(ころものこ)はひょうたんを水に投げ入れ、
「川の神よ、
もし私を欲しいと思われるなら、
このひょうたん沈めよ。
本当の神とわかれば、
自ら身を捧げましょう。
しかしひょうたんを
沈めることができなければ、
偽りの神に
身を捧げることはありません」
と語った。
ひょうたんは沈みかけたが
浮いて流れていった。
こうして衫子は死なず堤防も完成した。
衫子は知恵によって助かったのである。
それらの堤防は
強頸断間、衫子断間と名付けられた。
(引用ここまで)

堤根神社

このように歴代天皇は、
国難に遭ったときには
夢で神託を受けてきました。
神託を受けて実践する政治を
神政といいます。

神政を執り行った天皇は
国難を免れ治世に成功しているのです。

堤根神社

ところで
いけにえに選ばれた二人の人物のうち、
遠い武蔵(東京)から来た強頸と
地元に住む河内の衫子のうち、
武蔵の強頸は死んで、
河内の衫子は死なずに済んだという
対照的な結果になっています。
いずれも堤防は完成していることから、
強頸の死は無駄ではなかったことが
せめてもの救いです。
しかしなぜ神は強頸(こわくび)を死なせ、
衫子(ころものこ)を生かしたのでしょうか。
このことは天皇の神託と
深い関わりがあるようです。
そのことについて
次回に述べてまいります。

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