いつもひふみのしくみを
お読みいただき
ありがとうございます。
早いもので2月も
過ぎ去ろうとしています。
2020年以降、
時のたつのがあまりに早く、
10年に一度
起きるかどうかという出来事が
たった1年ほどで
体験させられているようで
体がついて行きません。
それも過ぎ去ってしまえば
いつのことだったか
わからなくなるほど
時間の感覚が
おかしくなっています。
特に今は、過去・現在・未来が
混在しているように感じます。

わたしはいつごろだったか、
過去世だけでなく未来世からも
メッセージを受け取っていました。
その内容は
幼いころに何度も見た夢と
つながっていたことに
今になって気づいたのです。

これは本当に不思議なのですが、
人間の肉体年齢は
経年劣化の方向へ向かいますが、
魂には年齢も時間もないので、
魂へ届けられるメッセージは
時空間を超えて
受け取るのかもしれません。
振り返りますと、
わたしが生駒山麓にいた
幼い頃に何度も見た同じ夢は、
過去世でも見ていた夢だった
かもしれないと感じるのです。
それは
未来世からのメッセージとして
受け取っていたのかもしれません。

未来世といっても、
個の人格ではなく、
集合意識のように感じます。
未来世がどの時空にいるのか
わかりませんが、
この銀河のどこかにいるのだと
思います。
未来世は地球人として生きた
どの過去世にも同じメッセージを
発していたのだと感じるのです。
そのメッセージとは、
大和民族が
滅びてしまわないように
命を守ってほしいという、
祖先と同じ思いなのです。
それはもはや警告なのです。

時空を超え、
過去・現在・未来を超えれば、
生命と法則で成り立つ
宇宙の意志ともいえる、
根源神と同じ意志としか
感じられないのです。
つまり現世利益的な欲望と
人間の自我は皆無なのです。

過去世と未来世に同調するには、
自我を滅却しなければなりません。
同調して本質がわかってしまえば、
自我と欲望にまみれた地球の
法則に背いてきた日本で
何をすべきかが
わかってしまうのです。
それは命を守ること、
つまり
種の保存ということなのです。
このことは
仁徳天皇さんがしきりに
わたしに伝えてきたことと
完全一致するのです。

仁徳さんが即位した
1600年間前、
河内平野に住む民は
飢えに苦しんでいました。
このとき仁徳さんが
種の保存のために
最善を尽くしたのが
「民のかまど」だったのです。
民を養う政治をした結果、
人口が増えて
種の保存に成功したのです。
ところが現在はその逆で、
外国人を養うための政治となり、
大和民族はますます減っています。
このことに
国民が危機感を抱いていても、
実際どうやったらいいのかが
わからないのが現状です。

現在の日本は
全体から個という
逆方向に向かっており、
全体のために自分を生かす
という考えよりも、
自分らしく(わがままに)生きる
逆方向の教育となっています。
日本の政界は
外国人が専横しているため
外国人が取り決めた法律に
日本人は従わなければなりません。
日本人が減らされる仕組みが
組み込まれた厳しい現実社会で
神の意図が「種の保存」
なのですから大変です。

こんなとき思うのは、
脈々と命をつないでくださった
先祖に対する尊敬と感謝です。
いつの時代も
子を産み育てるのは
尊い大仕事です。
先祖の誰かが仮に、
種を絶やしてしまっていたなら、
今の自分は
ここに存在しなかったのです。

つまり、
いかなる時代も種の保存が
すべての生命体に埋め込まれた
神仕組みなのです。
これが人間にもたされた
神性の根源だったのです。

今日はここまで!
今回も最後までお読みくださり
ありがとうございます。
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