日本がますます
おかしくなっています。
この流れは変化というよりも
退化と劣化です。
軌道修正が必要です。
ごく一部の人だけが
恩恵を受ける世の中を
発展とは言いません。
戦後の日本経済の土台を築き
牽引してこられた
偉大な創業者の言葉は、
現代の日本人に
希望を与えてくださいます。
彼らは
明治・大正・昭和を生きぬき、
戦争を体験された方だからです。
困窮のどん底を
味わい尽くしたからこそ、
この現状を変えなければならないと
強く決意されたわけです。

皆が幸せになるためには
どうしたらいいか、
皆が食べていけるようになるには
どうしたらいいか、
経営者は
労働者とその家族を守るためには
どのような意識をもつべきなのか、
この国を経営していくには
民間としてどうあるべきなのか、
常に自問自答の連続だった
ことでしょう。
当時から
政府と民間の対立構造は
歴然と存在していました。
民間の起業家たちは一生懸命働いて
国に税金を納めて来たけれども
民間の意に沿うようには
使われなかったことに
憤りを感じていました。
それは偉業を成し遂げた
経営者たちの共通の思いでした。
彼らは何万人もの社員を
雇用した立場。
小さな国を経営しているのと
同じ意識で日本の発展と
国民(労働者)の生活の
安定のために心を砕いてきました。
そして彼らは異口同音に
商売して金儲けするだけではダメだ、
幸福の追求、社会の共栄のために
という確固たる理念がなければいけない
といいました。

しかし政府は
納得いくように税金を使わない。
民意に反して無駄遣いしていると
経営者たちは憤慨していました。
明治・大正・昭和を
生き抜いた経営者には
大和魂が燃え盛っていたのです。
当時はブラック企業なんて言葉は
ありませんでした。
社員とその家族の
生涯の生活を保障する責任を
負っていたのです。
戦後の法律はどんどん
日本人に不利なシステムに
変えていき、
一代で大企業までに育て上げた
日本の企業を外資が買収し、
雇用形態を破壊していったのです。
松下幸之助さんは
120年かけて無税国家にする計画を
打ち立てていました。
この計画に
外国人が一切干渉しなければ、
実現できたと思います。
それくらい
日本人には気骨がありました。
個人の豊かさよりも
全体の豊かさを考える
国民性だからです。
その根本は、
皆が富を分かち合い、
与え合う共存共栄するシステムを
1万年以上継続してきた
縄文の記憶があったからです。

松下幸之助さんは
88歳になっても国の前途を
案じておられました。
このままでは
必ず国家が破たんする。
今の国家経営のやり方を
2001年にはすっかり変えて
しまわなければならないと
論じておられました。
確かにこの国は2001年を機に
システムを反転させなければ
ならなかったのです。
そのチャンスを反故にして
先延ばしにしてきたために、
その反動が大きく
24年後の今起きているのです。
オイルショックを経験した後の
松下幸之助さんの肉声を
書き起こしてみました。

「21世紀末、100年先、
120年先ですな、
120年先には
日本を無税国家、
今、高率の税金で
非常に国民は苦しんでおる
わけでございます。
その高率の税金にも関わらず、
政府は財政窮迫を
いたしておりまして、
一定の税額の収入だけでは
国費が足りませんので、
赤字国債というものを
発行いたしまして、
国費に当てておる
次第でございます。
そういう状態でございますから
まあ、非常に前途
暗澹たるもんでございます。
そういうことやなくして、
21世紀末には
日本は無税国家になる、
税金のいらない国になると。
税金を取らずして、
どうして国事を、
国費を賄うんかという
疑問が起こりますが、
それは、
今日の日本人の考え方を
一変いたしまして、
無税国家を築きあげようと
いうことを考え及びますと、
それは可能な問題だと、
かように思うんであります。
それをどういうように考え、
どういうように進めていったら
できるかということの
研究に入りたいと、
かように考えておる
次第であります。
それがごく最近の
私の考えでございまして、
そういうことを
発表いたしますのは、
この席上が初めてでございます。
現在のままでいったならば
必ず財政破綻に陥る
という可能性があります。
それでは困るというので、
今から120年という
期間をとりまして、
そして、
その準備研究に入りたいと、
そして21世紀の初めから
実行してまいりたいと、
かように考えるんです。
~松下幸之助講話~
『日本を無税国家に』
かつての
松下電器本店付近には
茨田(まった・まんだ)の堤の
伝承があります。
わが国初の
国家事業は治水事業でした。
門真市は
淀川水系の水害地域にあり、
仁徳天皇が築いたとされる
茨田の堤があると
推定されています。

松下幸之助さんは
門真に本店を建設するにあたり
ここは大阪から見て
「鬼門」にあたることに
気づかれました。
当初は気になりましたが
「東北方向が鬼門なら、
日本の地形は
どこも鬼門ばかりだ」
と思い至り、
迷うことなく
建設に着手されたのです。
「組織の膨張は、
やがて崩壊に通じやすい。
松下電器は今躍進か崩壊かの
分岐点に立っている。
新しい工場を生かすのは
人である」
松下幸之助は
人材育成に尽力し、
松下電器はこの地を拠点に
世界的企業に成長したのでした。

どんなに時代が変わっても、
土地の記憶は残っています。
当時生きた人々の苦労の上に
わたしたちは生かされています。
無税国家を
わが国で初めて為したのは
約1600年前の仁徳天皇でした。
経営の神様となった
松下幸之助さんが
無税国家を
120年かけて目指したのは
かつて仁徳天皇が治水した
門真の土地に本社を建てた
ご縁ではないかと思います。

経営の神様が
打ち立てた120年計画が
松下幸之助さんが御存命中に
国家事業として提唱したなら、
わが国はずいぶんよい方向へ
変わっていたでしょう。
しかし実際は、
天下の松下電器が
パナソニックになり、
大阪門真の工場が
ついに取り壊され、
2023年に
ららぽーと三井アウトレットと
コストコが建てられました。
下は解体中の
パナソニック門真工場です。
現在はショッピングモールに
なっています。

2024年現在の
日本が目指すべき指針が
何なのかが見えないからこそ、
わたしたちの目指す
方向が定まらず志が持てず
希望も見いだせないのです。
これは日本人(大和民族)が
最も欲している
「欠乏」だと思うのです。
それが何なのかを
大和民族の血(地)は
知っているはずです。
そのことを
書いてまいりたいと思います。
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