ひふみのしくみと
出会ってくださった皆様には
いつも感謝しております。
当ブログに移転して
1年がたちました。
ブログを書き始めたきっかけは、
2017年11月に京都にて
日本神界の神々、
アラハバキの三柱の神々、
歴代天皇の神々が
一同に集結したご神事に、
立ち会ったからでした。
このご神事は
新たな神界を創造するために
艮金神主導にて
執り行われたものでした。
このときのわたしは
顕在意識ではわからなくても、
潜在意識は何をすべきか
わかっていたのです。
そのことを
直観―実践―体験記録として
ブログに書き始めたのです。

最初、ブログ名は
わたしが考えた題名でしたが、
書いていくうちに
「ひふみのしくみ」
と天啓が来たのです。
初めて知る言葉だったので、
ネット上で調べてみましたが、
どこにも出てきませんでした。
そのとき艮金神より
これを題名にするようにと
ご指示をいただきましたので、
ブログ名にしました。

そのころに書いた記事を、
改めて振り返ってみました。
2018年12月24日。
その日、本当なら
新たな神界創造の御神塔
創立の神事がありまして
列席のお誘いをいただきましたが
その日は義母の一周忌だったので、
どうしても無理だったのです。
そのご神事は平成の御代に
天皇に成り代わって
艮金神のご指示の通りに
神事を執り行ってこられた方の
最終任務の集大成でありました。
わたしが出席できなかったのは
必然だったのです。
艮金神より、
これで終わりなのではない
これからが始まりなのだ。
と伝えられたからです。
それからひふみのしくみは
はじまったのでした。
では2018年12月24日の記事を
再掲させていただきます。

記憶のカギは
あらゆる次元時空に
隠されている。
記憶のカギが開く瞬間は、
自我意識から解き放たれた
「あるがまま」
「無我」
「空っぽ」
の状態にあるときしか
開かないよう仕組まれている。
それゆえ現代文明の価値観では
決して開くことはない。
言い換えれば
セキュリティシステムに
ロックがかけられているから。
記憶は生命活動のすべて。
太古の記憶が開く瞬間、
人は理屈を超えた得心に至る。
その瞬間のひらめきは、
論理的、時系列を超えていて
「知っていた」
「思い出した」
と肚に落ちた感覚を得る。
すなわち、
すでに学習済みの体験を
追体験したような思いに至る。
ゆえに
誰かにわかってもらいたい、
認めてもらいたいといった、
人への理解を求めることさえ
必要でなくなる。
なぜなら思い出した記憶は
根源(神)から来たものという
確信があるから。
誰にもわかってもらえなくても、
誰かに理解を求めなくても、
神はわかってくださっている
という実感があれば、
心の中でただ湧き起る感謝に
魂がふるえるに至る。
この段階に来れば、
不思議と幼き頃の
自分が呼び戻される。
固定観念、概念、先入観、
現文明の価値観に
刷り込まれなかった頃の
自分を取り戻すことができる。
ピカソは、
「ラファエロのように
描くことはたやすいが、
子供のように描くことほど
難しいことはない」
といった。
それはまさに
大人の価値観から脱して、
無垢の感性を取り戻せば、
神、宇宙、根源と
つながることができ、
創造力を発揮できるようになる
ということを示している。
この段階の創造力とは、
人間は単なる媒体にすぎず、
高次領域の意図をただ、
降ろす役目に徹するということで
自己の思考を超えた作品が
「なぜかできあがっていた」
という結果に至る。
この段階の創造物は、
自分の頭で考えたものとは
全く別物であるため、
主義主張や説明する必要さえ
感じなくなる。
なぜなら、
自己の意思を超えた領域から
直接降りてきたものであって、
自分のものという
所有意識がないからである。
あらゆる次元時空には
記憶のカギを開ける「コード」
が隠されている。
それは
自らの遺伝子に刻み込まれた
「体験」のこと。
この惑星に来る前に、
どの星系で体験を積み、
どこの銀河に
所属していたのかによって、
「コード」が異なります。
このことは誰かに
教えてもらうものとは違い、
高次領域とつながる体験を
繰り返すことで思い出すもの。
それゆえ、
意識レベルによって
理解度が異なることから、
人にわかってほしい、
理解してほしいと願うことが
ナンセンスであることに気付く。
ただ、この段階に至れば、
類は類を呼ぶ法則により、
自分と同じ「コード」保持者と
出会うようになる。
その人とは同じミッションに
携わってきたことを知るのです。
言い換えれば、台本もないのに
それぞれが同じテーマを
追求していたことを知るのです。
この段階に至れば、
もはや人間は微生物のごとく
意思なきように見えて、
神の意志のままに
動かされていたことに
気づかされる。
そのとき、
人間が生み出された真の理由を
言葉なく理解できるようになり
神の意志がわかるようになる。
この段階に至れば、
もはやこの地球と宇宙の関係が
いかなるものなのかが、
理屈を超えてわかるようになる。
それは、どれほど
この宇宙が混沌としているか、
という客観的事実を
感知することになる。
そのとき抱くのは、
三次元地球のエゴによる
現状への無力感・・・。
けれど、この宇宙で
生みだされた自己の任務を
全うするしかないとわかる。
この星がブラックホールに
飲み込まれてしまう前に
何とかしなければと、
同じ使命を持つ人々は、
誰しも自分の欲望を超えて
壮大な神の計画を、
行動の星である地球で
全うする責任を持っている。
このことは言葉に出さずとも
「コード」がそれを知っている。
ゆえに類は類を呼ぶ者同士、
「袖振り合うも他生の縁」
という。
わたしが今生で
記憶のカギが開いたのは、
小学校低学年のころ。
子供ゆえに予備知識も
調べる手段もなかったため、
わけがわからない、
どうしてかわからない、
だけどとても気になる。
何回も見たい聞きたい。
それは1970年代の
みんなのうた『かざぐるま』。
今ならこの映像は
高次領域の「コード」を
三次元周波数に変換した
映像であることがわかる。
芸術家やクリエイターは
高次領域からの情報を
ダウンロードして
創作することに長けた方々。
彼らもまた
「コード」保持者であるがゆえに
「コード」を創造物に折りたたんで
言語を超えた情報を提供する。
それが彼らの使命。
そして
彼らの創造物に刻印された
「コード」を解読して
実践行動するのが星の種。
説明、理屈はいりません。
この曲と映像から、
あなたは何を受け取りますか?
何を感じますか?
何を思い出しますか?
音声(YouTube)と画像を
並べてみました。
























映像つきYouTubeはこちら。
続きます。
今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。
