「鬼は外、福は内」の真の意味は「内につながる者は幸福なり」

直観・記憶・叡智


大変長らくご無沙汰しておりました。
すっかり寒くなりましたが、
皆様お変わりありませんでしょうか。
長らくブログを更新せず
ご心配をおかけしてしまいました。
やはり生存確認のための
更新は必要だったかもしれません。


今回のミッションは、
外部情報を遮断していましたので、
ほとんど
アナログ生活だったのです。



山に籠って修行する人は
外部との交流を遮断することで、
自己の内部をとことん
突き詰めるしか方法がない状態に
追い込んでいたのだと思います。
自分しか頼れない状況に
身を置いたのです。
この人を外側から見れば
孤独な人に見えると思います。
でもきっとその人は
孤独を感じていないはずです。

方や、いつも誰かと
一緒にいたい人がいます。
その人は
いつも誰かがそばにいますが、
心の中は孤独を感じているものです。
山籠もりの人と正反対です。
この違いがわかりますか。



前者が孤独を感じていないのなら、
目に見えない存在が自分を
サポートしてくださることを
知っているのです。
耳に聞こえない声を聴き、
手で触れることのない存在を
感じているから孤独ではないと

知っているのです。

後者は目に見えて
耳に聞こえて肌に触れる存在しか
認識できない視野が狭い人。
それは自分の外側だけを見て
自分の内なる存在に
気づいていないだけなのです。
この場合、

霊感のあるなしは関係はありません。



この一か月間わたしは
ごく普通の日常を過ごしながら、
自分にしかできない取り組みに
向き合っていたのです。


この世界は二重構造になっています。
目に見える物質社会と、

目に見えない精神社会。

目に見える物質社会は
現象なので非実在。
目に見えない精神社会は
原因なので実在です。

つまりこの世界は
両側面を同時に見なければ
真に世界を認識できないわけです。

もっとわかりやすく言いますと、
人間という形態は
肉体と霊の二重構造です、
と言うことです。

ですからもはや山籠もりせずとも、
日常生活をごく普通に営みながら、
自己の内部と直結しつつ
外界を見るわけです。
この内外を両輪で生きることが
本来の生命活動です。



ところが現在は物質文明なので
それを知る者はほとんどいない。
残念なことに
この世界を動かしている者は
精神を内なる自己ではなく、
外側の神につながっているために、
悪魔の世界になっているのです。

内は男、外は女。
この道理がわかりますか。
外側の神は悪魔ということです。
悪魔のささやきは外側から来ます。
噂、悪口、誹謗中傷、
全部外側です。

この世界の構造は実に単純なので、
男女に分かれているだけです。


男女(陰陽)の関係に
善悪・優劣はありませんが、
主従はあります。

人間には

自由意志が与えられているので
外側の声を信じることも

許されています。

外側から聞こえる声には
はっきりした特徴があります。

良い噂はそれほど広まらないが
悪い噂はあっという間に広がる

ということです。

それは外側の世界が実在だと
信じている人がほとんどだからで、
悪い噂がいっぺんに広がるのは
外側の世界を信じるほとんどの人に
嫉妬心があるからです。



わたしが外部情報を遮断して、
とことん内部情報を頼りに
今回のミッションを実行したのは、
どこまで自分を信じられるか。
自分の中の神を信じられるか、
という一つの課題でもあったのです。

今回はここまでにしておきますね。

一か月布団で寝ていなかったので、
今日からお布団で寝ることにします。


通常モードに戻りましたので
また
ブログを書いてまいりますね!
よろしくお願いします。



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