②水の女神たちのミッション。いざ東京ー千葉・銚子へ(神田神社編)

歴史と政治の本質


前回記事の続きです。


国会議事堂と
皇居東御苑へ行った後
神田神社へ行ってきました。

ここへ行く予定は
なかったのですが急遽
行くことになったのです。

平将門公が
神様として祀られた
神社へと。



到着すると
雨が降る中にもかかわらず
参拝客が絶え間なく
訪れていました。


神田明神
明神とは祟り神のこと。

ご祭神は
大己貴命、少彦名命、平将門命

大己貴命は
大国主の役職を担った
出雲の神。

少彦名命は
大国主の右腕となって
国づくりした神で
本当は女。

出雲の神様は
男女一対で
はたらくからです。


神田神社は
東京都心180町会の総氏神。

縁結び、家内安全、商売繁昌、
社運隆昌、除災厄除、病気平癒
など多くのご神徳があります。

そのはたらきはまさに
大国主


もともと神田神社は
平将門公の首塚付近に
鎮座していましたが
江戸城拡張の際に
江戸城から見て表鬼門
にあたる現在の位置に
遷座したのでした。

鬼門に祀られた祟り神
鬼門=北東=艮
明神=祟り神=金神
=艮金神


平将門公は
10世紀前半に
平安時代の関東地方で
豪族として力をつけ
自ら「新皇しんのう」を名乗って
朝廷に反旗を翻した人物。

将門公のご事績が
国土開発であることから
素戔嗚命や大国主命と
ともに神様として
祀られていることが
わかります。


平安時代のはじまりは
艮金神を奉じていた
天武系の血筋を滅ぼし
天智系の生き残りを
皇統に付け替えた
藤原氏主導の時代。

藤原氏が桓武天皇を
意のままに操って
東北地方の
日高見国を滅ぼし
太陽信仰の
艮金神を封印して
満月を崇めた時代。


公家にとって
満月の輝く夜は
天国でも
庶民にとっては
地獄の世。

太陽神を隠して
道理に逆らった
公家政治に耐えかねて
立ち上がったのは
桓武天皇より
五代孫にあたる
平将門公でした。

天皇の血を引く
将門公には
素戔嗚命の資質が
宿っていたのです。


今から1100年前の
東国は坂東と呼ばれる
未開拓の地でした。

その荒地を開拓する
リーダーとして
国土開発に取り組み
馬の牧場の経営と
鉄製の農具を作って
農民とともに
国づくりを目指したのが
将門公でした。

そうした進歩性が
一族との争いを生み
その争いが
国家権力との争いに発展し
将門公が目指した
豊かな郷土の実現を
間近かにして
敗れてしまったのでした。


ここで注目すべきは
馬と鉄
これらを我が国に
もたらしたのは
1600年前に
河内王朝を開いた
応神天皇でした。

応神天皇は
素戔嗚命の器として
男系の系譜をつないだ
考古学的初代天皇です。


馬と鉄を扱った将門公が
出雲の神とともに
神田神社に祀られたのは
出雲の神の精神
大和魂を
燃やし尽くした人だから。


将門公は
伯父・良兼との戦に敗れ
妻子を惨殺されています。

将門公は
同族との争いのみならず
同族に妻子を惨殺されるという
想像を絶する苦しみを
味わっていたのです。

それなのに
将門軍の兵が
敵将の平貞盛の妻らを
捕えた際に将門公は
こう言ったのです。

女性の流浪者は、その本籍地に身柄を帰すのが法令の慣例である。また、身寄りのない老人や子どもに恵みを与えるのは、昔の帝王たちがつねに行ってきたよい手本なのだ。『将門記』


このような
真にやさしい人が
取り組む善政が
妨害される理不尽は
この時代だけでは
ありません。

そもそも将門公が
「新皇しんのう」
と名乗りを挙げて
関東一円の善政に
取り組んだのは
八幡神と
菅原道真の御霊の
神託を受けたから

なのです。

このことについては
別記事に書きますね。


民衆は将門公の
高潔で慈悲深い人柄と
私利私欲なくはたらく
行動力に絶大な信頼を
寄せていました。

だからこそ
将門公を手厚く弔い
神として祀り
今なおその精神に
崇敬の念を抱く人達が
ここに参拝するのです。


続きますよ!

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