京都人の独特な気質と、ひな人形の実態を解説します。

歴史と政治の本質


いつもひふみのしくみブログに
お越しくださり
ありがとうございます。

まだまだ残暑は続いています。
人間には耐性があるために、
30度越えの日々が続いても
慣れてしまいましたね。




今日、やっと気づいたんですよ。
大阪人と京都人の
根本的な違いを。

京都人の

独特の習性と本性を。

京都人は本音を言いません。
気づけよ、と遠回しに言っても
大阪人(というより他府県人)には
その意図が理解できません。



京都人の気質の根底には
天皇の本拠地に居住している
プライドがあります。


ここでいう京都とはあくまで
洛中のことを指します。
ここが京都人の

プライドの中心なんです。

けれども京都
の前は奈良、
奈良の前は大阪がもともとの
天皇の本拠地でありました。



奈良が都だった時代に、
藤原氏によって
皇族の粛清が繰り返され、
藤原氏の血を混ぜて
操り人形にされた天皇を
京都にお移しして以来、

藤原氏主導の時代が
約400年も続きました。


公家の気質がそのまま京都の

土地柄になったのでしょう。


藤原氏は考え方を
捻じ曲げる習性があります。
言葉を裏表にするのです。


さらに

表情を読み取れなくするために
白粉で眉を消していたのです。

これによってより一層、
何を考えてものを言っているのか
さっぱりわからなくなる。


さらに上から目線で
相手をあざ笑うのです。


これは自虐ネタで
人を笑わせて喜ぶ大阪人には
もはや理解不能。


京都人の本音は
大阪人が笑われている様を

見てあざ笑っているのです。

この習性が理解できなのは、
もともと日本人にはない

資質だからと思われます。


わたしが気づいたことは、
京都人がはっきり言わないのは
責任回避の術だということ。

発言には責任が伴います。
これを回避するため
相手に意図を読み取らせ、
自ら動かず

相手を動かすことで
相手に責任を負わせる

絶対的な自己中心。


まだ藤原氏がいなかった時代、
大阪に男系の大王(天皇)

が住んでいました。
天皇さんは民の視点で

物事を見ていたので
民をよろこばせる政治を
実行していたのです。


その最初の取り組みが
国土開発でした。
これが大阪の土地の気質に

なったのです。


大阪人は相手の視点で見る。
京都人は自分の視点で見る。

それが大阪人と京都人の
根本的な違い。


大阪人が相手を
「自分」というのはその証。

天皇を操っていた藤原氏は
自己中心的な視点なので
皆から見る視点がない。
だからこそ
土地の左右を逆にしたのです。


当時は唐にならって
左京を「洛陽城」
右京を「長安城」
と呼んでいました。



平安時代の衣装を着た
ひな人形の実態は
左京と右京と同じ道理で
配置したならば、


「わらわが上座で、帝は下座ぞよ」

となるわけです。

けれどみんなの視点から見れば
向かって左が男、右が女で
一致してしまうわけです。


京都視点では左右逆さまの

逆転脳=逆天皇。
これをあてはめると
女雛が主、男雛が従、
女が体、男が霊なので
体主霊従になるのです。

主従を逆にして
妻が夫を尻に敷けば
世は地獄と化す。

男が主、女が従の
霊主体従であれば
地上天国となるのです。



逆転脳の藤原氏は女系。

藤原一族に絡みつかれた
平安時代以降の天皇は
あくまでも藤原氏の婿扱い。

ムコドノに対する扱いに天皇は
大いにご乱心あそばされた。

右   左  


ひな壇は

悪魔の支配構造の
ひな型だったのですよ。



今回も最後までお読みくださり
ありががとうございます。


いつも読者の皆様から
元気をもらっています。

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