落ちぶれた日本を外国から守るために必要なのは縄文遺伝子と故郷の記憶

歴史と政治の本質


約1600年前に河内を治めた
応神ー仁徳天皇は、
真東から太陽が昇る
生駒山の日下山を奉じました。


日下山の別名は

饒速日にぎはやひ山です。
そのため応神皇統は
饒速日命を太陽神とする
神政を実現していたのです。


大阪平野の歴史


その時代に突如現れたのが
巨大古墳です。
土木技術者の秦氏が
百済を経由して
大陸から渡来した時代でした。
彼らは古墳時代中期に
故郷を守るために
帰ってきたのです。
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百舌鳥古墳群(国土地理院地図)


『河内のおっさんの歌』を歌う
シンガーソングライターの
ミス花子さんはなんと
奈良県吉野郡出身なのです。
吉野と河内は
深~い関係があるのです。
なぜなら吉野と河内は
秦氏の本拠地だったからです。


奈良県吉野町宮滝


第40代天武天皇亡き後、
夫の意思を継いだ
第41代持統天皇は
河内で養育されました。
天皇に即位してからは
吉野宮(宮滝)に
31回も行幸しました。

河内と吉野は秦氏のうちでも
古代祭祀族・物部氏と賀茂氏の
本拠地だったために
天皇と深い交流があったのです。

このように古代の歴代天皇は
わが国固有の縄文の神様を
太陽神として奉じてきたのです。


地理院地図


大阪平野の地盤を固めたのは
土木技術者の秦氏でした。
彼らは手先が器用だったので、
ものづくりに長けていました。

鉄器、馬具、埴輪、養蚕、染色、
機織り、弓矢、弦楽器などの
ものづくり職人の家系で、
その技術のルーツをさかのぼれば
縄文の発明品だったのです。


火焔土器


日本人がものづくりが得意で
手先が器用なのは、
無から有を生み出してきた
縄文遺伝子のなせる業です。
縄文人は創造の原理を

熟知していたのです。

河内は金剛生駒山系にあり、
ものづくりの下町なのです。
わたしが開発した
藻塩と麻炭うまれの粉はみがき
「すみわたるきれい」
ここで作っていただいたのです。


藻塩と麻炭うまれの粉はみがき すみわたるきれい


河内には物部氏の宗家・
物部守屋公のお墓があるのです。


物部守屋公墳墓


町工場の中小企業が
日本を支えているのです。
いつの時代も
日本を支えてきたのは、
太陽の下で汗を流した男たち。
その男たちを
陰で支えてきたのは女たち。
それが適材適所で
理にかなっていたからこそ
日本は世界一

長く続いてきたのです。

法善寺横丁


日本人は長らく男女の役割分担を
守り続けてきたのですが、
平成になって雇用形態を破壊され、
企業は外資に乗っ取られ、
雇用主に守られてきた社員は
使い捨てにされてしまいました。


そのような企業で
み出される商品には
ものづくり精神が宿らない。
いまや完全に悪貨が良貨を

駆逐してしまいました。
(意味:悪人がのさばる社会では、
善人は身を縮めて暮らさなければならぬ
不遇の世であることにたとえる。)


四條畷市立歴史民俗資料館


いつの時代も現場で働く人が
日本の土台を支えてきました。
いちばん下で働く人たちこそ
大事にしなければなりません。


この方々の生活が楽になる
政治を実現すれば
国家は安泰なのです。
土木作業員の姿の
ミス花子さんが歌う
『河内のおっさんの歌』
『好っきやねん』
のような故郷を愛する精神が
今の日本に絶対必要です。

若者が故郷を離れてしまい
土地も家も守れなくなった今こそ
政府に頼らず
自分たちで守るべき道筋を
家族単位で実践

しなければなりません。


誇るべき日本の宝は
大和民族の日本人なのです。

Miss Hanako – Kawachi no Ossan no Uta – Sukiyanen (2008.11.03)

次回に続きます。

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