なぜ日本には
天皇が存在してきたのでしょう。
その本質は生命の継承にあります。
この方々は祖先とされる
太陽神(天照大神)の遺伝子を
一万年絶やさず受け継ぐことを
担われた特殊な家系であり、
皇位継承者は
男系男子とされてきました。
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考古学的初代天皇は5世紀の
第15代応神天皇です。
しかし文献上での初代天皇は、
女神の天照大神の5代孫にあたる
神武天皇とされています。
その根拠は8世紀に編纂された
『日本書紀』です。
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5世紀の古墳時代には
わが国に文献が存在しませんが、
中国南朝の宋帝国(劉宋)の
正史『宋書』に登場する倭国5代の王、
讃・珍・済・興・武が
いたことがわかっています。
古墳時代は太陽信仰だったため、
真東に位置する生駒山をご神体として
崇めていました。
生駒山を拠点にしていた太陽神は
天照国照彦天火明奇玉饒速日命
でした。
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倭の五王の讃は仁徳天皇です。
なぜなら大阪の人は昔から
「仁徳さん」と呼んできたからです。
大事なことは文献ではなく
方言や話し言葉に暗号化して
後世に伝えてきたのです。
このことはここに書きました。
河内のおっさんはよみがえる
仁徳天皇は
生駒山を真東に位置した
高津宮を皇居とし、
難波宮を政治の拠点としたのです。
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文献なき古墳時代に
最も重視されたのは血筋でした。
なぜなら血の中には
生命誕生から膨大な情報が
保存されているからです。
特に皇位継承者が
男系男子と決められているのは、
男性(XY)だけが
家系の遺伝子(Y)を
継承するからにほかなりません。
皇族の血統が問われるのは
皇祖より先祖代々の記憶が
Y遺伝子に書き込まれているからです。
血は争えないといわれるように、
血の中の情報にはウソがないのです。
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一方、文献は人間が介入する
物質的ツールであるために、
改ざんされる可能性があります。
公文書の偽造・捏造・改ざん・
隠蔽工作がわが国のお家芸なのは、
8世紀に編纂された歴史書が
「型」になっているからです。
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さて、前回記事では、
神の政治は血縁と地縁が
重要視されることを述べました。
神の政治は万世一系と太陽信仰と
男系継承のはじまりなり。
応神皇統は
第25代武烈天皇で絶えたために
急遽、皇族の血筋の男子を
探すことになりました。
その結果、
皇位を継いだのは応神天皇5代孫の
男大迹王(第26代継体天皇)でした。
家臣の
大伴金村と物部麁鹿火は
どうやって男大迹王を
応神皇統と特定したのでしょうか。
ちなみに
DNA鑑定は人間が介入する
物質的な判定法であるため
改ざんされるおそれがあります。
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古墳時代人は
現代人よりもはるかに
精神的・霊的に成熟していたので
霊的な判断法が用いられていました。
そのため
人間の自我が介入しない睡眠時に
霊夢を受け取っていたのです。
このことは歴代天皇が夢で
神のお告げを受けてきた事実です。
男大迹王も夢のお告げによって
指名された可能性があります。
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男大迹王の
父は彦主人王、母は振媛。
近江の高島に生まれました。
3歳のときに父が亡くなったために、
母の故郷である越前国に連れ帰られ、
民間人として育てられました。
男大迹王は
越前国の治水事業を成功させ、
農水産業を興して国を豊かにした
実績があったことがわかりました。
そこで大伴金村と物部麁鹿火が
男大迹王に会いに行ったところ、
容姿端麗、堂々たる風格を備えており、
情け深い性格はまるで
仁徳天皇とそっくりだったのです。
家臣も先祖の記憶を有していたため、
聖帝を覚えていたのです。
このことから
男大迹王が仁徳天皇の
転生であるとわかったのです。
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そのことを確かめるために家臣は
河内馬飼首荒籠を遣わしました。
河内は仁徳天皇が河内平野を治水し、
馬の牧場として栄えた土地だからです。
なんと男大迹王と河内馬飼首荒籠は
知り合いだったのです。
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これらは
男大迹王が皇族との血縁があり、
河内と地縁ある証明となりました。
仁徳天皇は男大迹王に生まれ変わっても
国土開発、衣食住農水産業を興して、
人びとを幸せにしていたのです。
このように人は誰しも本来は
過去世の記憶を持っており、
その記憶を取り戻せば
当時携わっていた事業に取り組み、
それを完成させようとするのです。
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記憶を取り戻すためには
物質的価値観を脱却し、
自我を滅却しなければなりません。
現代人にとっては
これが難しいと感じてしまうのです。
自我意識とは
自分の考え、負の感情、固定観念、
概念、偏見、知識、常識、先入観
などの刷り込まれた意識のこと。
しかし本当は難しいのではなく
理屈を超えて「わかる」ものであり、
「思い出した」「そうだった!」と
率直に感じるだけなのです。
これを直観ともいいます。
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一方で、
血縁も地縁もなき者は
地位や肩書で
自分を証明しようとします。
これらは物質的価値観のツールなので
いくらでも粉飾することができます。
きれいなおべべを着て
きれいにお化粧をして
高い地位にいたとしても
血縁・地縁・魂の履歴とは
無関係です。
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その人の地位や肩書だけでなく
口の上手さが加わると
すっかり信用してしまいます。
現代人が地位や肩書や言葉に
だまされてしまうのは、
人の本質を見ないで
表面しか見ていないからです。
自我意識や物質的価値観では
相手の魂胆を見破れないのです。
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物質的価値観とは
霊などいない、転生などない、
肉体が本体と考えるために、
人の本質や魂の経歴は
無視する考え方です。
さて、
応神皇統をつないだオオドノ王は
武烈天皇の姉・手白香皇女に
婿入りして継体天皇となりました。
なぜ婿入りできたかというと
応神皇統の分家の三男だったからです。
これがとても大事なことなのです。
この続きは次回に!